殷礼 殷禮
人物紹介
殷礼は呉の官吏で、顧邵の伝は彼を雲陽の人と記す。烏程の吾粲らとともに微賤の身から起こり、顧邵が抜擢して友とし名声を立ててやり、官は零陵太守に至った。正史には独立した伝がなく、顧邵・張温・趙達の伝に登場する。 正史 呉書 巻7 §38–39
もとは占候によって召された人物であったが、張温が彼を連れて蜀に使者として赴き称賛し、帰還すると守尚書戸曹郎を務めた。張温が罪に問われたとき孫権はこれを張温の罪状の一つに挙げ、将軍駱統は上表して、使者が自国の臣下を称賛したのは国を輝かせたことであると弁護した。趙達の伝は、闞沢や殷礼のような名高い儒者が身を屈して学びに来ても、趙達は術を隠して教えなかったと記す。 正史 呉書 巻12 §34–35 · 41–43正史 呉書 巻18 §22
陳寿の本文は彼の字と死を記しておらず、評でも彼を別に論じていない。演義には登場しない。 正史 呉書 巻7 §38–39 · 100正史 呉書 巻12 §34–35
正史の記録
顧邵は27歳で豫章太守となり、下級の役人のうち資質の良い者を学問に就かせ、先に進んだ者を抜擢した。かつて銭唐の丁諝は労役の徒から出て、陽羨の張秉は庶民に生まれ、烏程の吾粲と雲陽の殷礼は微賤の身から起こったが、顧邵はみな抜擢して友とし、彼らのために名声を立ててやった。のちに丁諝は典軍中郎に至り、張秉は雲陽太守、殷礼は零陵太守、吾粲は太子少傅となった。世の人は顧邵が人を見る目があるとした。 正史 呉書 巻7 §37–39
張温は輔義中郎将として蜀に使者として赴いたが、孫権は張温が蜀の政治を称賛したことを内心根に持ち、その名声があまりに盛んなのを嫌っていたところ、暨艶の事件が起こると、これをきっかけに張温を罪に問うた。孫権は令を下して張温の罪を並べ立て、殷礼はもともと占候で召した者であるのに、張温は再三彼を連れて蜀に行くことを願い、異国で彼をもてはやして持ち上げ、彼のために評判を広めたと述べた。また殷礼は帰還したら本職に戻るべきであるのに守尚書戸曹郎を務めさせたのであり、このような配置は張温によるものにほかならないと述べた。張温は本郡に追放された。 正史 呉書 巻12 §26 · 30 · 32 · 34–35
将軍駱統は上表して張温を弁護し、張温が蜀に行ってともに殷礼を称賛したのは、臣下には国境の外での交わりがあってはならないとはいえ、酌量に値すると述べた。国境の外での交わりとは君命なしに私的に互いに通じることであり、命を奉じて赴き友好を修めるついでに自分の情を述べるのは使者の道であると述べた。張温が殷礼を称賛して向こうの人々を感嘆させたのなら、それはわが臣下に賢者が多いことを明らかにし、国の美点を異郷に示したことであるとして、晋の趙文子と楚の王孫圉が他国で自国の臣下を称賛したことを挙げた。 正史 呉書 巻12 §36 · 41–43
趙達は自分の術を宝のように惜しみ、闞沢や殷礼のような名高い儒者や優れた士人が自ら身を屈して学びに来ても、秘して教えなかった。 正史 呉書 巻18 §22
陳寿の本文は殷礼が零陵太守となったところで終わり、彼の字と死んだ年、死んだ場所を記していない。 正史 呉書 巻7 §39
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。
能力値
演義に登場しない人物のため、正史(陳寿『三国志』本文)の点数のみです。
- 統率33
- 武力31
- 知力45
- 政治52
- 魅力45
- 徳50
- 処世42
- 文芸68
- 弁舌58
- 用人40
項目別の根拠
正直接の記録なし呉書 巻7 §39
正直接の記録なし呉書 巻7 §39
正直接の記録なし — 占候で召された経歴から推定呉書 巻12 §34
正零陵太守と守尚書戸曹郎を務めた呉書 巻7 §39呉書 巻12 §35
正直接の記録なし — 微賤の身から抜擢された経歴から推定呉書 巻7 §38
正直接の記録なし呉書 巻7 §38
正直接の記録なし呉書 巻12 §35
正闞沢と並ぶ名高い儒者と呼ばれ、占候で召された呉書 巻18 §22呉書 巻12 §34
正張温とともに蜀に赴き、その地の人々を感嘆させたという呉書 巻12 §34呉書 巻12 §43
正直接の記録なし呉書 巻7 §39
スペシャル — 才能 正史 +10
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占術・天文
正熟達 +10 もとは占候(占術)によって召された人物呉書 巻12 §34
正史 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。