武周
人物紹介
武周は字を伯南といい、沛国の人である。陳寿の本文には独立した伝がなく、臧覇と胡質の記事に一度ずつ登場する。下邳令であったとき、徐州刺史臧覇が彼を敬って自ら県令の官舎を訪ね、彼が法を犯した部従事を捕らえて最後まで取り調べて処断すると、臧覇はいっそう彼を高く評価した。 正史 魏書 巻18 §25正史 魏書 巻27 §16
後に将軍張遼の護軍であったとき張遼と不和になったが、胡質が「武伯南はもともと雅士である」とこのことを挙げて張遼の求めを辞退すると、張遼は感じ入って再び武周と和解した。巻18と巻27の評には彼の名がない。演義には登場しない。 正史 魏書 巻27 §15–16 · 76正史 魏書 巻18 §92
正史の記録
武周は沛国の人である。正史には独立した伝がなく、魏書巻18二李臧文呂許典二龐閻伝の臧覇の記事と、魏書巻27徐胡二王伝の胡質の記事に一度ずつ登場する。胡質は彼を字で呼んで武伯南と言った。 正史 魏書 巻18 §25正史 魏書 巻27 §15–16
臧覇は東方の諸州を平定した功で都亭侯に封じられて威虜将軍を加えられ、于禁とともに昌豨を、夏侯淵とともに黄巾の残党徐和らを討った功で徐州刺史となった。陳寿は続けて、沛国の武周が下邳令となり、臧覇が武周を敬って特別に遇し、自ら県令の官舎を訪ねたと記した。部従事が軽率で法を犯すと、武周はその罪を明らかにし、ただちに捕らえて最後まで取り調べて処断し、臧覇はいっそう武周を高く評価した。 正史 魏書 巻18 §25
将軍張遼は護軍の武周と不和であった。このとき丞相東曹議令史であった胡質を州が治中に招くと、張遼は刺史温恢に会って胡質をもらい受けたいと願ったが、胡質は病を理由に辞退した。張遼が出てきて「わたしはそなたに心を委ねたのに、なぜこのように背くのか」と言うと、胡質は、昔の人の交わりは、多く取っても貪欲でないと知り、戦いに敗れて逃げても臆病でないと知り、流言を聞いても信じなかったので、最後まで共にすることができたのだと答えた。 正史 魏書 巻27 §15
胡質は続けて「武伯南はもともと雅士で、以前将軍は彼を称える言葉が口に収まりきらないほどでしたのに、今はにらみ合う程度のささいな恨みで不和になりました。まして私のように才の乏しい者がどうして最後まで良い仲でいられましょうか」と言い、だから望まなかったのだと述べた。張遼はその言葉に感じ入り、再び武周と和解した。 正史 魏書 巻27 §16
陳寿の本文は武周のほかの官職と死を記していない。巻18の評は臧覇らが州郡を鎮め守ってみな威恵が顕れたと言い、巻27の評は胡質の素朴な行いが貞粋であったと言うだけで、どちらの評も武周を取り上げない。 正史 魏書 巻18 §92正史 魏書 巻27 §76
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。
能力値
演義に登場しない人物のため、正史(陳寿『三国志』本文)の点数のみです。
- 統率40
- 武力31
- 知力45
- 政治62
- 魅力58
- 徳65
- 処世40
- 文芸42
- 弁舌38
- 用人40
項目別の根拠
正直接の記録なし — 張遼の護軍であることから推定魏書 巻27 §15
正直接の記録なし魏書 巻18 §25
正直接の記録なし魏書 巻18 §25
正下邳令として法を犯した部従事を最後まで取り調べて処断した魏書 巻18 §25
正臧覇が自ら訪ねて敬い、張遼も称賛を惜しまなかった魏書 巻18 §25魏書 巻27 §16
正法を曲げなかった。雅士と呼ばれた魏書 巻18 §25魏書 巻27 §16
正直接の記録なし魏書 巻27 §15
正直接の記録なし — 士人であることから推定魏書 巻27 §16
正直接の記録なし — 張遼と不和になった魏書 巻27 §15
正直接の記録なし魏書 巻18 §25
正史 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。
所属の変遷
- 魏 · 正史 · 正史 巻27 「位至光祿大夫」