汪昭
人物紹介
汪昭は演義第32回に登場する袁譚の大将である。袁紹が死んだのち、袁譚が黎陽に至って曹操の軍と対峙すると汪昭が出陣し、曹操は徐晃を送ってこれを迎え撃たせる。二人の将が幾合も戦わないうちに、汪昭は徐晃の一刀で斬られて馬から落ち、曹操の軍が勢いに乗って攻めかかったので、袁譚の軍は大敗する。 演義 第32回 §3 · 10
演義全120回のうち第32回の1回にのみ登場し、名が回目に入った回はない。名が出るのは徐晃に斬られるくだりの一節だけである。汪昭という名は陳寿の本文にも裴松之の注にもない。陳寿の本文の武帝紀は、建安7年(202)夏5月に袁紹が死んだのち、袁譚が自ら車騎将軍と称して黎陽に駐屯し、秋9月に公がこれを攻めて連戦したので、袁譚と袁尚はたびたび敗れて退き、固く守ったと記すだけである。 演義 第32回 §10正史 魏書 巻1 §76
演義の描写
演義第32回で、袁尚は袁譚らの兵が到着するのを待たず、自ら兵数万を率いて黎陽に出て曹操軍の先鋒と迎え合うが、張遼と三合も戦わないうちに大敗して冀州へ逃げ帰る。この知らせにまたも驚いた袁紹は持病が再発して血を吐いて死に、審配と逢紀は袁尚を大司馬将軍に立て、冀・青・幽・并の四州の牧を兼ねさせる。 演義 第32回 §1–3 · 5
すでに兵を起こして青州を発っていた袁譚は城外に兵を駐屯させ、郭図を冀州に入らせる。袁尚は袁譚に車騎将軍を加えて先鋒になってくれるよう頼み、補佐を送ってほしいという郭図の願いに、審配と逢紀の二人にくじを引かせ、当たった逢紀に印綬を持たせて送る。袁譚が病気でないのを見て不安になった逢紀が印綬を差し出すと、袁譚は大いに怒って彼を斬ろうとするが、曹操を破ってから冀州を争っても遅くはないという郭図の諫めに従う。 演義 第32回 §6–9
袁譚はすぐに陣を払って黎陽に至り、曹操の軍と対峙して、大将汪昭を出して戦わせる。曹操は徐晃を送って迎え撃たせ、二人の将が幾合も戦わないうちに、徐晃が一刀で汪昭を斬って馬から落とす。曹操の軍が勢いに乗って攻めかかったので袁譚の軍は大敗し、袁譚は敗残の兵を収めて黎陽に入り、袁尚に救援を求める。 演義 第32回 §10
袁尚が送った兵5千余りは途中で楽進と李典に包囲されてことごとく殺され、袁尚がそれ以上兵を送らないので、袁譚はその場で逢紀を斬り、曹操に降ろうと議する。袁尚が自ら大軍を率いて黎陽に来ると袁譚は降伏の議をやめ、袁熙と高幹も兵を率いて到着し、毎日曹操と対峙するが、袁尚はたびたび敗れる。建安8年(203)春2月、曹操が道を分けて攻めると、袁譚・袁熙・袁尚・高幹はみな大敗し、黎陽を捨てて逃げる。汪昭の名はこれ以後演義に再び出てこない。 演義 第32回 §10–14
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。
能力値
陳寿『三国志』本文に記録がないため、演義の点数のみです。
- 統率42
- 武力35
- 知力35
- 政治31
- 魅力35
- 徳45
- 処世33
- 文芸31
- 弁舌31
- 用人31
項目別の根拠
演直接の記録なし — 袁譚の大将という役割から推定第32回 §10
演徐晃と幾合も戦わないうちに一刀で斬られた第32回 §10
演直接の記録なし — 袁譚の大将という役割から推定第32回 §10
演直接の記録なし — 袁譚の大将という役割から推定第32回 §10
演直接の記録なし — 袁譚の大将という役割から推定第32回 §10
演直接の記録なし — 袁譚の大将という役割から推定第32回 §10
演直接の記録なし — 袁譚の大将という役割から推定第32回 §10
演直接の記録なし — 袁譚の大将という役割から推定第32回 §10
演直接の記録なし — 袁譚の大将という役割から推定第32回 §10
演直接の記録なし — 袁譚の大将という役割から推定第32回 §10
演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。
演義の登場回(1回)
登場登場なし 登場回の一覧 →