王思

正史 魏 Wang Si왕사

プロフィール
職業正文官 · 豫州刺史所属魏
登場正収録魏書
出生出身地済陰郡
実在実在言及正8回

人物紹介

王思は済陰の人である。太祖(曹操)の西曹令史であった時、事を上申して太祖の意に逆らい重い刑を受けることになったが、同僚の梁習が代わりに捕らえられると、馬を馳せて戻り自ら罪を申し述べた。太祖は二人について「我が軍中に義士が二人もいたとは」と言った。 正史 魏書 巻15 §35

のちに梁習と同時に刺史に抜擢されて豫州を任され、官は九卿に至り列侯に封じられた。明帝(曹叡)の時、尚書僕射であった彼に代えて辛毗を用いるよう上表があったが、皇帝の問いに劉放と孫資が王思を後押しし、辛毗は用いられなかった。 正史 魏書 巻15 §36正史 魏書 巻25 §16–18正史 魏書 巻14 §156

正史魏書巻15劉司馬梁張温賈伝に、梁習の伝に続いて短く載っている。陳寿は、彼は有能な官吏であったが苛酷で細かく、大局を見る度量がなかったと記した。演義には登場しない。 正史 魏書 巻15 §34 · 36

正史の記録

初め、済陰の人王思は梁習とともに西曹令史であった。王思が当番の日に事を上申して太祖(曹操)の意に逆らうと、太祖は大いに怒り、命を下して担当者を呼び出し重い刑を加えようとした。その時、王思はたまたま少し外に出ていたので、梁習が代わりに出向いて応対し、捕らえられた。 正史 魏書 巻15 §35

王思はそこで馬を馳せて戻り、自ら罪を申し述べて、その罪は死に当たると言った。太祖は梁習が何も言わなかったことと王思が分をわきまえていることに感嘆し、「思いがけず我が軍中に義士が二人もいたとは!」と言った。 正史 魏書 巻15 §35

のちに二人は同時に抜擢されて刺史となり、王思は豫州を任された。陳寿は、王思もまた有能な官吏であったが、苛酷で細かく、大局を見る度量がなかったと記した。官は九卿に至り、列侯に封じられた。 正史 魏書 巻15 §36

明帝(曹叡)が即位した後、中書監劉放と中書令孫資が主上の信任を受けて当時の政務を決していた。その時、冗従僕射畢軌が上表して、尚書僕射王思は勤勉な古参の官吏であるが、忠誠と明察と計略では辛毗に及ばないので、辛毗が王思に代わるべきだと述べた。皇帝が劉放と孫資に問うと、二人は、陛下が王思を用いておられるのはまことにその実際の働きを取ろうとしてのことで、虚名を重んじてのことではなく、辛毗はまことに明察で剛直だが性格が強く独断的であると答えた。結局辛毗は用いられず、出て衛尉となった。 正史 魏書 巻25 §16–18

陳寿は劉放と孫資の伝で、二人が主上の意をよく承って従い、得失をはっきり口にしたことがなく、辛毗を抑えて王思を助けたため世の非難を受けたと記した。 正史 魏書 巻14 §156

陳寿の本文は王思の没年と死の経緯を記していない。 正史 魏書 巻15 §34–36正史 魏書 巻25 §17正史 魏書 巻14 §156

3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。

能力値

演義に登場しない人物のため、正史(陳寿『三国志』本文)の点数のみです。

統率武力知力政治魅力徳処世文芸弁舌用人
正史
  • 統率35
  • 武力31
  • 知力40
  • 政治62
  • 魅力40
  • 徳55
  • 処世52
  • 文芸38
  • 弁舌38
  • 用人38
各項目100点

項目別の根拠

正史 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)

3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。

所属の変遷

  1. 魏 · 正史 · 正史 巻15 「正始中,爲大司農」