馬鈞
人物紹介
馬鈞は演義第105回に魏主曹叡の博士として登場する人物である。演義は青龍3年(235)ごろのこととして、曹叡が洛陽に崇華殿・青霄閣・鳳凰楼・九龍池を建てたとき、彼に工事を監督させたと記す。神仙と往来して長生きする方法を求める曹叡に漢の武帝の承露盤の話を奏上し、命を受けて長安の柏梁台の銅人と承露盤を取り壊し、洛陽へ移す。 演義 第105回 §35 · 39–42
銅人を取り壊して下ろすと、その目から涙が流れ、狂風で台が傾いて千余人が押しつぶされて死ぬ。演義全120回のうち第105回の1回だけに登場し、回目に名が入った回はない。陳寿の本文には登場せず、魏書巻29方技伝の杜夔の記事に付された裴松之の注にのみ記録がある。 演義 第105回 §42正史 魏書 巻29 §36
演義の描写
演義第105回は、蜀漢の建興13年、すなわち魏主曹叡の青龍3年(235)に三国がいずれも兵を起こさなかったと述べ、魏主が司馬懿を太尉に封じて諸方の辺境を守らせたことを語る。魏主は許昌に宮殿を建て、洛陽に高さがいずれも10丈の朝陽殿・太極殿・総章観を建てる。さらに崇華殿・青霄閣・鳳凰楼・九龍池を建てて博士馬鈞に工事を監督させると、彫刻した梁と彩色した棟、碧の瓦と金の磚が日に照り輝く。天下の腕利きの職人3万余人と人夫30余万人が昼夜の別なく働き、民は疲れ果てて怨みの声が絶えない。 演義 第105回 §35–36
曹叡は芳林園でも工事を起こし、公卿に土を運ばせ木を植えさせる。司徒董尋が上表して諫めると官を奪って庶人とし、太子舎人の張茂が諫めると斬らせる。その日のうちに曹叡は馬鈞を召し、高い楼台や聳える楼閣を建てるのは、神仙と往来して長生不老の方法を求めるためだと言う。 演義 第105回 §37 · 39
馬鈞は、漢の二十四帝のうち武帝だけが最も長く国を保ち寿命も非常に長かったが、それは日の精と月の華の気を服したからだと奏上する。武帝は長安の宮中に柏梁台を建て、台上に盤を捧げ持つ銅人を立てて承露盤と名づけ、三更に北斗から降る夜露を受けて天漿あるいは甘露と呼んだという。そしてこの水に美玉を砕いた粉を混ぜて飲めば、老人も子供に返ることができると言う。 演義 第105回 §40
大いに喜んだ曹叡は、人夫を率いて夜を徹して長安へ行き、銅人を取り壊して芳林園の中に移すよう命じる。馬鈞は1万人を率いて長安に着き、周囲に木の足場を組ませ、5千人が縄をつないで引きながら高さ20丈の柏梁台の上へ登っていく。馬鈞がまず銅人から取り壊させると、銅人の目から涙がはらはらと流れ落ち、皆が大いに驚く。にわかに台のほとりで狂風が起こって砂が飛び石が転がり、台が傾き柱が倒れて千余人が押しつぶされて死ぬ。 演義 第105回 §41–42
馬鈞は銅人と金の盤を持って洛陽に戻り、魏主に献上する。銅の柱はどこかと問われると、馬鈞は柱の重さが百万斤あって運んで来られなかったと奏上し、曹叡は柱を砕いて運ばせ、銅人二体を鋳造して翁仲と名づけ、銅の龍と鳳凰を造って立てる。少傅の楊阜が上表して諫めるが、曹叡は省みず、ただ馬鈞を急き立てて高台を築かせ、銅人と承露盤を安置させる。 演義 第105回 §42–44 · 46
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。
能力値
陳寿『三国志』本文に記録がないため、演義の点数のみです。
- 統率35
- 武力31
- 知力38
- 政治50
- 魅力35
- 徳30
- 処世45
- 文芸55
- 弁舌40
- 用人35
項目別の根拠
演直接の記録なし — 魏の博士としての役割から推定第105回 §35
演直接の記録なし — 魏の博士としての役割から推定第105回 §35
演直接の記録なし — 魏の博士としての役割から推定第105回 §35
演直接の記録なし — 魏の博士としての役割から推定第105回 §35
演直接の記録なし — 魏の博士としての役割から推定第105回 §35
演博士として漢の武帝の承露盤の故事を挙げて奏上第105回 §40
演直接の記録なし — 魏の博士としての役割から推定第105回 §35
演直接の記録なし — 魏の博士としての役割から推定第105回 §35
演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。