劉範
人物紹介
劉範は益州牧劉焉の子である。兄弟の劉誕・劉璋とともに献帝に従って長安におり、左中郎将となった。 正史 蜀書 巻1 §9
李傕・郭汜らが朝廷を握っていたとき、郿県に駐屯する征西将軍馬騰に長安を襲わせ、侍中の馬宇・諫議大夫の種邵とともに内から呼応しようとした。謀が漏れて槐里に逃れたのち殺され、父の劉焉は息子たちを失ったことを悲しみ、興平元年(194)に死去した。 正史 魏書 巻6 §21–22正史 蜀書 巻1 §10–11
正史には独立した伝がなく、父劉焉の伝と魏書巻6の李傕・郭汜の記事に一度ずつ登場する。演義では120回のうち第10回の1回にのみ登場し、回目に名が入った回はない。馬宇・種邵とともに馬騰・韓遂の内応となるが、事が露見して市で斬られる。 正史 蜀書 巻1 §9–10正史 魏書 巻6 §22演義 第10回 §6 · 12–13
正史の記録
劉範は益州牧劉焉の子である。劉焉の野心がしだいに大きくなり、天子の乗る車とその道具を千余りも作らせていたころ、劉範は左中郎将、劉誕は治書御史、劉璋は奉車都尉として、みな献帝に従って長安におり、別部司馬の劉瑁だけがずっと劉焉に従っていた。献帝は劉璋を遣わして劉焉を諭させたが、劉焉は劉璋を引き留めて帰さなかった。 正史 蜀書 巻1 §9
李傕・郭汜・樊稠が朝政をほしいままにしていたころ、韓遂と馬騰らが降伏して手勢を率いて長安に来ると、馬騰は征西将軍となって郿県に駐屯した。侍中の馬宇は諫議大夫の種邵、左中郎将の劉範らと謀り、馬騰に長安を襲わせて自分たちは内から呼応し、李傕らを殺そうとした。劉二牧伝はこの件を、劉焉と劉範が馬騰と共謀し、兵を率いて長安を襲おうとしたものと記す。 正史 魏書 巻6 §21–22正史 蜀書 巻1 §10
馬騰が兵を率いて長平観に至ったとき謀が漏れ、馬宇らは槐里に逃れた。樊稠が馬騰を討つと馬騰は敗れて涼州に戻り、樊稠はさらに槐里を攻めて馬宇らはみな死んだ。劉二牧伝は、劉範がそのときすぐに殺され、これにより劉誕も捕らえられて刑を受けたと記す。 正史 魏書 巻6 §22正史 蜀書 巻1 §10
議郎の龐羲は劉焉と代々親しい家柄であったので、人を集めて劉焉の孫たちを連れて蜀に入った。劉焉は治所を成都に移したが、息子たちを失ったことを悲しんだうえ、天火で城が焼けた災いに心を痛め、興平元年(194)に背中に悪性の腫れ物ができて死去した。陳寿の本文は劉範が死んだ年を別に記していない。 正史 蜀書 巻1 §10–11
演義の描写
演義第10回で、李傕と郭汜が大権を握って民を虐げるなか、西涼太守馬騰と并州刺史韓遂が賊を討つと称して兵10万あまりを率い、長安に攻め寄せる。二人の将はあらかじめ長安に人を送り込み、侍中の馬宇、諫議大夫の種邵、左中郎将の劉範の三人と結んで内応させていた。三人はひそかに献帝に奏上して馬騰を征西将軍、韓遂を鎮西将軍に封じさせ、それぞれ密詔を受けて力を合わせ賊を討つことにしていた。 演義 第10回 §5–6
馬超が王方を突き殺し李蒙を生け捕りにするが、李傕と郭汜が賈詡の計に従って関所を堅く守るばかりなので、西涼軍は2か月もたたずに兵糧が尽きる。このとき馬宇の家の下僕が、主人が劉範・種邵とともに外の馬騰・韓遂と結んで内応しようとしていると訴え出る。激怒した李傕と郭汜は三家の老若・良賤をことごとく捕らえて市で斬り、三人の首を門前にさらして見せしめとする。内応まで漏れたのを見た馬騰と韓遂は陣を払って兵を退く。 演義 第10回 §10–13
演義と異なる点
劉焉との関係:演義第10回は劉範を左中郎将とだけ記し、劉焉の子であるとは言わない。正史では益州牧劉焉の子で、兄弟の劉誕・劉璋とともに献帝に従って長安におり、劉焉も劉範とともに馬騰と共謀した。 演義 第10回 §6正史 蜀書 巻1 §9–10
馬騰の征西将軍:演義第10回では馬宇・種邵・劉範の三人が献帝に奏上して馬騰を征西将軍に封じさせる。正史では韓遂・馬騰が降伏して長安に来ると、馬騰を征西将軍として郿県に駐屯させ、そののちに馬宇らが馬騰に長安を襲わせようと謀った。 演義 第10回 §6正史 魏書 巻6 §22
謀が露見した経緯:演義第10回では、西涼軍の兵糧が尽きかけたころ馬宇の家の下僕が訴え出て事が露見する。正史では馬騰が長平観に至ったときに謀が漏れたとだけ記し、どのように漏れたかは明かさない。 演義 第10回 §12正史 魏書 巻6 §22正史 蜀書 巻1 §10
死:演義第10回では李傕と郭汜が三家をことごとく捕らえて市で斬り、三人の首をさらす。正史では劉範らが槐里に逃れたが、樊稠が槐里を攻めて馬宇らはみな死に、劉二牧伝は劉範がそのときすぐに殺されたと記す。 演義 第10回 §13正史 魏書 巻6 §22正史 蜀書 巻1 §10
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能力値
正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。
- 統率3835−3
- 武力3533−2
- 知力3845+7
- 政治3838±0
- 魅力3838±0
- 徳5062+12
- 処世3535±0
- 文芸3838±0
- 弁舌4250+8
- 用人3535±0
演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上
近い項目 9件 — 根拠を見る
正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。