李蒙

正史演義 Li Meng이몽

プロフィール
職業正武将 演武将 · 校尉所属
登場正演収録
死因演処刑 推定
実在実在言及正1回

人物紹介

李蒙は董卓の旧部下である。正史には独立した伝がなく、魏書巻6董二袁劉伝の李傕・郭汜の記録に一度登場する。董卓の死後、賈詡の策に従って軍勢を率い長安へ向かった李傕らが、樊稠・李蒙・王方らと合流して長安城を包囲し、城は10日で陥落した。 正史 魏書 巻6 §20

演義には第9回に董卓の残党として初めて登場し、全120回のうち第9・10回の2回に登場して、回目に名が入る回はない。王方とともに城内で内応して長安の城門をひそかに開け、第10回では馬騰・韓遂の西涼軍を迎え撃ちに出て、馬超に生け捕られて首を斬られる。 演義 第9回 §46演義 第10回 §7–11

正史の記録

董卓の娘婿である中郎将の牛輔は別に陝県に駐屯し、校尉の李傕・郭汜・張済を派遣して陳留と潁川の諸県を略奪させた。董卓の死後、牛輔は夜に陣営を抜け出す兵がいると皆が背いたと思い込み、金と宝を持って逃げたが、同行した胡赤児らに首を斬られた。李傕らが戻ったときには、軍勢は頼るところがなかった。赦免の文書もないうえに、長安では涼州の人をことごとく殺そうとしていると聞いてどうしてよいかわからずにいた彼らは、賈詡の策を用いて軍勢を率いて西へ向かい、行く先々で兵を集めて、長安に着いたときには軍勢は10余万になっていた。 正史 魏書 巻6 §19–20

李傕らは董卓の旧部下である樊稠・李蒙・王方らと合流して長安城を包囲した。10日で城は陥落し、城中で戦った呂布は敗れて逃げた。李傕らは兵を放って長安の老人や若者を略奪してことごとく殺し、董卓を殺した者たちを誅殺して、王允の屍を市にさらした。李傕は車騎将軍、郭汜は後将軍、樊稠は右将軍、張済は驃騎将軍となった。 正史 魏書 巻6 §20–21

陳寿の本文で李蒙が登場するのはこの一節だけである。彼の字と出身、官職、その後の事績と死は記されていない。 正史 魏書 巻6 §20

演義の描写

演義第9回で張済と樊稠の二手の軍勢が長安を侵し、李傕と郭汜が背後から攻め寄せると、呂布は城下で戦ったが不利で、その凶暴さを恐れた兵の中には敵に降る者が多かった。数日後、董卓の残党李蒙と王方が城内で敵に内応してひそかに城門を開けると、四手の敵軍が一斉になだれ込む。呂布は防ぎきれずに家族を捨てて関を抜け出し、李傕と郭汜は兵を放って大いに略奪したのち、宣平門の楼の下で王允を殺す。 演義 第9回 §44–48 · 50–51

第10回で李傕・郭汜・張済・樊稠の4人は望む官職を書いて差し出して将軍と列侯となり、残る李蒙・王方らはそれぞれ校尉となる。 演義 第10回 §2–3

西涼太守馬騰と并州刺史韓遂が兵10余万を率い、逆賊を討つと称して長安に攻め寄せると、謀士賈詡は、堀を深く掘り塁を高く築いて守りさえすれば、100日もたたずに彼らの兵糧は尽きるだろうと言う。李蒙と王方はよい策ではないと言い、精兵1万を貸してくれればすぐに馬騰と韓遂の首を斬って献上すると申し出る。賈詡が今戦えば必ず敗れると言うと、自分たちが負ければ喜んで首を差し出すが、勝てば賈詡も首を差し出さねばならないと口をそろえる。賈詡の言葉どおり張済と樊稠は盩厔山に駐屯し、李傕と郭汜は人馬1万5千を李蒙と王方に与える。二人は喜んで出発し、長安から280里離れた所に陣を構える。 演義 第10回 §5 · 7–8

馬騰と韓遂が二人を国に背いた逆賊だと罵ると、馬騰の子で年わずか17歳の馬超が陣中から飛ぶように出てくる。王方は彼が若いのを侮って立ち向かったが、数合で槍に突かれて馬から落ちる。李蒙は王方が突き殺されるのを見て、馬を返して戻る馬超の背後を単騎で追うが、馬超はわざと気づかないふりをしてぐずぐずし、李蒙が突き出す槍を身をひねってかわし、二頭の馬が並ぶと腕を伸ばして彼を生け捕りにする。馬騰と韓遂は勢いに乗って大勝し、隘口に迫って陣を構えたのち、李蒙の首を斬ってさらす。 演義 第10回 §9–11

李傕と郭汜は、李蒙と王方がともに馬超に殺されたと聞いて初めて賈詡に先見の明があることを信じ、関所を固く守るばかりで、戦いを挑まれても出ていかない。果たして西涼軍は2か月もたたないうちに兵糧も秣も尽き、長安の内応も漏れたため兵を引く。 演義 第10回 §12–13

演義と異なる点

長安陥落の経緯:演義第9回では、李蒙と王方が城内で敵に内応してひそかに城門を開ける。正史は、李傕らが董卓の旧部下である樊稠・李蒙・王方らと合流して長安城を包囲し、10日で城が陥落したと記すだけで、李蒙が城内で内応したという記述はない。 演義 第9回 §46正史 魏書 巻6 §20

官職:演義第10回で李蒙と王方はそれぞれ校尉となる。正史は長安を手に入れたのち李傕・郭汜・樊稠・張済が受けた将軍の官職だけを記し、李蒙の官職は記さなかった。 演義 第10回 §3正史 魏書 巻6 §20–21

馬騰・韓遂との戦い:演義第10回では、李蒙と王方が西涼軍を迎え撃ちに出て、二人とも馬超に殺される。正史では、韓遂と馬騰は降伏して長安に来たが、のちに馬宇らと謀った馬騰が長安を襲撃しようと長平観まで来たものの謀議が漏れ、樊稠が馬騰を討って、馬騰は敗れて涼州へ帰った。この戦いに李蒙は登場しない。 演義 第10回 §9–11正史 魏書 巻6 §22

馬超:演義第10回では、17歳の馬超が王方を突き殺し、李蒙を生け捕りにする。正史馬超伝は、馬騰が長安を襲撃して敗走し、涼州へ退いて帰ったと記すだけで、このとき馬超がしたことは記されていない。 演義 第10回 §10–11正史 蜀書 巻6 §25

死:演義第10回で李蒙は馬超に生け捕られて首を斬られる。正史の陳寿の本文は長安包囲ののち李蒙を再び記さず、彼がいつどのように死んだのかはわからない。 演義 第10回 §11正史 魏書 巻6 §20–22

3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。

能力値

正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。

統率武力知力政治魅力徳処世文芸弁舌用人
正史(実線) 対 演義(点線)
  • 統率4228−14
  • 武力4032−8
  • 知力3122−9
  • 政治3131±0
  • 魅力3331−2
  • 徳3525−10
  • 処世3825−13
  • 文芸3131±0
  • 弁舌3131±0
  • 用人3131±0
正史・演義の点数と差(演義 − 正史・左 = 演義が下げた・右 = 演義が上げた)

演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上

統率正42演28 −14

正董卓の旧部下として李傕らと合流し、長安を包囲・陥落させた魏書 巻6 §20

演1万5千を率いて出陣したが、将を失って大敗した第10回 §8第10回 §11

処世正38推定演25 −13

正直接の記録なし — 事績から推定魏書 巻6 §20

演負ければ首を差し出すと豪語して出陣したが敗れた第10回 §8

徳正35推定演25 −10

正直接の記録なし — 董卓の残党としての事績から推定魏書 巻6 §20

演城内で内応し、ひそかに城門を開けた第9回 §46

近い項目 7件 — 根拠を見る
  • 武力正40推定演32 −8

    正直接の記録なし — 董卓の旧部下の武将であることから推定魏書 巻6 §20

    演馬超を追って突いたがかわされ、生け捕りにされた第10回 §11

  • 知力正31推定演22 −9

    正直接の記録なし — 事績から推定魏書 巻6 §20

    演賈詡の守備策に反対して戦い、敗れた第10回 §7第10回 §12

  • 政治正31推定演31推定 ±0

    正直接の記録なし — 事績から推定魏書 巻6 §20

    演直接の記録なし — 校尉の官職から推定第10回 §3

  • 魅力正33推定演31推定 −2

    正直接の記録なし — 事績から推定魏書 巻6 §20

    演直接の記録なし — 事績から推定第10回 §3

  • 文芸・学術正31推定演31推定 ±0

    正直接の記録なし — 武将としての役割から推定魏書 巻6 §20

    演直接の記録なし — 武将としての役割から推定第10回 §3

  • 弁舌・外交正31推定演31推定 ±0

    正直接の記録なし — 武将としての役割から推定魏書 巻6 §20

    演直接の記録なし — 事績から推定第10回 §7

  • 識人・用人正31推定演31推定 ±0

    正直接の記録なし — 武将としての役割から推定魏書 巻6 §20

    演直接の記録なし — 武将としての役割から推定第10回 §3

正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)

3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。

演義の登場回(2回)

登場登場なし 登場回の一覧 →

所属の変遷

  1. 董卓勢力 (~192) · 正史 · 「與卓故部曲樊稠、李蒙、王方等合圍長安城」

関連事件(1)

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