李孚
人物紹介
李孚は演義第32回に袁尚の主簿として登場する人物である。曹操が大軍で冀州を包囲すると、袁尚は救援に引き返して陽平亭に軍を駐屯させ、李孚を曹操軍の都督に扮装させて城下へ送る。城に入った李孚は審配に、城内の軍が出撃するときにも火を挙げて合図とするよう伝え、城内には兵糧がないので老弱の兵と婦女を出して降伏させ、その後に続いて軍を出して攻めようと言う。 演義 第32回 §38–41
演義全120回のうち第32回の1回にのみ登場し、名が回目に入った回はない。陳寿の本文には登場せず、裴松之の注にのみ記録がある。陳寿の本文の武帝紀は建安9年(204)秋7月に袁尚が鄴を救援に戻ったと記し、董二袁劉伝は、袁尚が兵1万余人を率いて西山沿いにやって来て、鄴から17里離れた陽平亭に至り、火を挙げて城内に知らせると、城内でも火を挙げて呼応したと記す。この箇所に李孚の名はない。 演義 第32回 §40正史 魏書 巻1 §81–82正史 魏書 巻6 §64
演義の描写
演義第32回で、曹操は大軍で冀州を包囲するが、地道から入ろうとした馮礼と壮士300人が審配に阻まれて皆土中で死ぬと、地道の計をやめ、洹水のほとりに軍を退いて袁尚を待つ。平原を攻めていた袁尚は軍を引き抜いて救援に戻り、部将馬延の言に従って西山の小道を取り、滏水の境の口を出て、冀州から17里離れた陽平亭に軍を駐屯させる。曹操は、袁尚は必ず火を挙げて合図とし、城内に呼応させるだろうと言って兵を分けて配置する。 演義 第32回 §36–39
袁尚は兵士に薪と枯れ草を積ませ、夜になったら焼いて合図とするよう命じ、主簿李孚を曹操軍の都督に扮装させて真っすぐ城下へ送る。李孚が門を開けよと大声で叫ぶと、審配はその声を聞き分けて城内に入れる。李孚は、袁尚がすでに陽平亭に陣を布いて呼応を待っているので、城内の軍が出撃するときにも火を挙げて合図とするよう伝え、審配は城内に草を積んで火を放たせ、連絡を通じる。 演義 第32回 §40
李孚はさらに、城内には兵糧がないので老弱の兵と婦女を出して降伏させれば敵は必ず備えをしないだろうから、その民の後に続いて軍を出して攻めればよいと言い、審配はその意見に従う。翌日、城上に「冀州の百姓が降伏します」と書いた白旗が立つが、曹操は、城内に兵糧がなく老弱の民を出しているのだから後から必ず兵が出てくると言って、張遼と徐晃にそれぞれ兵3千を与えて両側に伏せさせる。民がみな出終わると城内の兵が打って出るが、張遼と徐晃の二手の軍が一斉に出て散々に討つので、やむなく引き返し、追って吊り橋のたもとに至った曹操は弩の矢を兜に受ける。続く戦いで袁尚は大敗し、演義で李孚はこの場面の後に再び登場しない。 演義 第32回 §41–44
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。
能力値
陳寿『三国志』本文に記録がないため、演義の点数のみです。
- 統率38
- 武力35
- 知力60
- 政治40
- 魅力38
- 徳48
- 処世52
- 文芸42
- 弁舌50
- 用人35
項目別の根拠
演直接の記録なし — 主簿の官職と短い事績から推定第32回 §40
演直接の記録なし — 主簿の官職と短い事績から推定第32回 §40
演老弱を出して降伏させ、その後に続いて攻めるという計略第32回 §41
演直接の記録なし — 主簿の官職と短い事績から推定第32回 §40
演直接の記録なし — 主簿の官職と短い事績から推定第32回 §40
演直接の記録なし — 主簿の官職と短い事績から推定第32回 §40
演曹操軍の都督に扮装して包囲された城に入った第32回 §40
演直接の記録なし — 主簿の官職から推定第32回 §40
演城内に袁尚の意向を伝え、火の合図を約束した第32回 §40
演直接の記録なし — 主簿の官職と短い事績から推定第32回 §40
演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。
演義の登場回(1回)
登場登場なし 登場回の一覧 →