郭脩

正史 字 孝先 Guo XiuXiaoxian곽수효선곽순郭循郭修

プロフィール
職業正文官 · 中郎所属
登場正収録
出生出身地西平郡
実在実在言及正8回

人物紹介

郭脩は魏の西平の人で、蜀の大将軍費禕を宴席で刺し殺した。中郎であったとき、蜀の将姜維が彼の郡を荒らした際に捕らえられて連れ去られ、蜀書の後主伝と費禕伝は彼を魏から降ってきた郭循と記す。 正史 魏書 巻4 §36正史 蜀書 巻3 §33正史 蜀書 巻14 §27

延熙16年(253)正月元日、漢寿で開かれた大宴会で、費禕は大いに酔ったところを郭脩の刃で直接刺されて死んだ。魏はその年の8月に詔を下し、彼を長楽郷侯に追封して諡を威侯とした。 正史 蜀書 巻14 §27正史 蜀書 巻3 §33正史 魏書 巻4 §35–37

正史には彼の伝がなく、魏書巻4三少帝紀の詔、蜀書の後主伝・費禕伝、そして張嶷の伝に登場する。張嶷はかつて、費禕が新たに帰順した者を信じすぎるとして、刺客に警戒するよう書を送った。陳寿の評に郭脩を扱った箇所はなく、演義には登場しない。 正史 魏書 巻4 §36正史 蜀書 巻3 §33正史 蜀書 巻13 §57正史 蜀書 巻14 §27

正史の記録

郭脩は西平の人で、魏の中郎であった。魏の詔は彼について、節を磨き行いを励まし、心を保って揺るがなかったと述べた。蜀の将姜維が郭脩の郡を荒らした際、彼は捕らえられて連れ去られた。 正史 魏書 巻4 §36

蜀の大将軍費禕は延熙14年(251)冬に再び北へ行って漢寿に駐屯し、延熙15年に開府を命じられた。これより先、張嶷は費禕が初めて大将軍となったとき、気ままに広く人を愛し、新たに帰順した者を信じすぎて遇するのを見て、昔、岑彭と来歙はともに刺客に害されたのだから、位が尊く権が重い明将軍は前例を鑑みて少しでも警戒すべきだという書を送った。 正史 蜀書 巻14 §26–27正史 蜀書 巻13 §57

延熙16年(253)正月元日の大宴会に、魏から降ってきた郭循が席にいた。費禕は楽しく飲んで大いに酔い、郭循の刃で直接刺されて死んだ。後主伝は大将軍費禕が魏から降った郭循に漢寿で殺害されたと記し、張嶷伝は費禕が果たして魏から降った郭脩に殺害されたと記す。 正史 蜀書 巻14 §27正史 蜀書 巻3 §33正史 蜀書 巻13 §57

魏では嘉平5年(253)8月に詔が下された。詔は、偽大将軍費禕が群衆を駆り立て、ひそかに窺う意図を抱いて漢寿を通り、多くの賓客を招き集めたとき、郭脩が広い座の中で手ずから刃で費禕を撃ったとし、その勇は聶政に過ぎ、功は傅介子に勝り、身を殺して仁を成し、生を捨てて義を取った者と言うべきであると述べた。 正史 魏書 巻4 §35–36

詔は、死後に褒賞と恩寵を加えるのは忠義を表彰するためであり、福を子孫に及ぼすのは将来の人々を励ますためであるとして、郭脩を長楽郷侯に追封して食邑千戸を与え、諡を威侯とした。子に爵位を継がせて奉車都尉を加えて授け、銀千鉼と絹千匹を賜った。 正史 魏書 巻4 §37

3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。

能力値

演義に登場しない人物のため、正史(陳寿『三国志』本文)の点数のみです。

統率武力知力政治魅力徳処世文芸弁舌用人
正史
  • 統率33
  • 武力62
  • 知力48
  • 政治35
  • 魅力38
  • 徳72
  • 処世45
  • 文芸38
  • 弁舌35
  • 用人33
各項目100点

項目別の根拠

正史 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)

3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。