傅幹
人物紹介
傅幹は演義第66回に登場する曹操の参軍で、字は彦材である。曹操が南征に出発しようとすると上書して、呉には長江の険があり蜀には高い山の阻みがあって威勢だけでは勝ちがたいので、しばらく文徳を修めて時を待つよう諫める。曹操はこれを読んで南征をやめ、学校を建てる。 演義 第66回 §31–32
演義120回のうち第66回の1回にのみ登場し、その回目「関雲長は単刀にて会に赴き、伏皇后は国のために生を捐つ」に名は入っていない。陳寿の本文には登場せず、裴松之の注にのみ記録がある。陳寿の本文の武帝紀は、建安19年(214)秋7月に公が孫権を征伐し、その後合肥から帰還したと記す。 演義 第66回 §31正史 魏書 巻1 §136 · 139 · 141
演義の描写
演義第66回で、関羽と決戦すべきだという呂蒙の言葉に従い、魯粛が荊州を取り戻す計がまたも成らなかったと知らせると、孫権は大いに怒り、国を挙げて兵を起こし荊州を攻めることを議する。そこへ曹操がまた30万の大軍を起こして来るとの知らせが入り、孫権は驚いて兵を合淝と濡須に移し、曹操を防がせる。 演義 第66回 §30
曹操が南征に出発しようとする時、参軍傅幹が上書して諫める。演義は彼の字を彦材と記す。書の中で傅幹は、武を用いる時は威を先にし、文を用いる時は徳を先にし、威と徳が相助けてはじめて王業が成ると言う。かつて天下が大いに乱れた時、明公は武力でこれを払って十のうち九を平定し、いま王命を奉じないのは呉と蜀だけであるが、呉には長江の険があり蜀には高い山の阻みがあって、威だけでは勝ちがたいというのである。 演義 第66回 §31
傅幹は、しばらく文徳をさらに修め、甲を収め兵を休め、軍を休ませて士を養いながら、時を待って動くよう勧める。いま数十万の軍勢を起こして長江のほとりに留めても、敵が険に拠って深く隠れてしまえば、兵馬は能力を振るえず、奇策も用いる所がなく、天威が挫かれてしまうだろうと言う。曹操はこれを読み、ついに南征をやめ、学校を建て、文士を礼をもって迎える。 演義 第66回 §32
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。
能力値
陳寿『三国志』本文に記録がないため、演義の点数のみです。
- 統率33
- 武力31
- 知力62
- 政治50
- 魅力40
- 徳50
- 処世45
- 文芸50
- 弁舌64
- 用人40
項目別の根拠
演直接の記録なし — 参軍の職から推定第66回 §31
演直接の記録なし — 文官の参軍であることから推定第66回 §31
演直接の記録なし — 文徳を修めよという建議から推定第66回 §32
演直接の記録なし — 参軍の職から推定第66回 §31
演直接の記録なし — 曹操を諫めた事績から推定第66回 §31
演直接の記録なし — 参軍の職から推定第66回 §31
演書で曹操を説き、南征をやめて学校を建てさせた第66回 §32
演直接の記録なし — 参軍の職から推定第66回 §31
演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。
演義の登場回(1回)
登場登場なし 登場回の一覧 →