曹偉
| 登場 | 正 | 収録 | |
|---|---|---|---|
| 出生 | 出身地 | 山陽郡 | |
| 死因 | 正処刑 推定 | ||
| 実在 | 実在 | 言及 | 正4回 |
人物紹介
曹偉は山陽の人である。正史に独立した伝はなく、魏書巻14程郭董劉蒋劉伝の董昭が奉った上疏と、巻27徐胡二王伝の王昶が子と甥たちを戒めた文に、魏諷と並んで名が出る。 正史 魏書 巻14 §78正史 魏書 巻27 §24 · 33
董昭は、魏諷が建安の末に誅され、曹偉が黄初の初めに斬られたと述べ、王昶は、済陰の魏諷と山陽の曹偉はともによこしまで邪悪なために身を滅ぼし、当世を惑わして若者たちを駆り立てたと記した。陳寿の本文は彼の字と官職、何の罪で斬られたのかを記しておらず、演義には登場しない。 正史 魏書 巻14 §78正史 魏書 巻27 §33
正史の記録
董昭は太和4年(230)に司徒の職務を代行し、6年(232)に正式に任じられた。彼は上疏して末流の弊害を述べ、天下を保つ者はみな篤実で質朴、忠実で信頼できる士を尊び、虚偽で真実でない者を深く憎むが、それは彼らが教えを壊し治世を乱し、風俗を損ない教化を害するからであると述べた。続けて、近くは魏諷が建安の末に誅され、曹偉が黄初の初めに斬られたと述べた。 正史 魏書 巻14 §78
董昭は、いまの若者は学問を根本とせず、もっぱら交遊を業とし、徒党を組み群れを連ねて互いに褒め合っていると述べた。また奴婢や食客を現職の官吏の家人であるかのように名を登録し、禁中の奥深くに出入りして書簡を交わし、何かを探る者もおり、こうしたことは法が受け入れず刑罰が赦さないもので、魏諷・曹偉の罪であってもこれ以上ではないと述べた。皇帝はそこで厳しい詔を下し、諸葛誕・鄧颺らを退けて免職させた。 正史 魏書 巻14 §79–81
王昶は甥と子たちに謙遜と誠実に基づいて名と字を付け、文を書いて戒めた。その文は、偽りの人は言葉が道に根ざさず、行いが言葉を顧みないのに、世の人々が惑わされるのは言葉と行いによって彼を見極めないからだと述べた。 正史 魏書 巻27 §24 · 32
続けて、近ごろ済陰の魏諷と山陽の曹偉はともによこしまで邪悪なために身を滅ぼしたが、彼らは当世を惑わし、悪心を抱いて若者たちを駆り立て、斧鉞の刑を受けて大いなる明らかな戒めとなったものの、彼らに染まった者はすでに多かったのだから、慎まずにいられようかと述べた。 正史 魏書 巻27 §33
陳寿の本文で曹偉の名が出るのはこの三節だけである。彼の字と官職、何の罪で斬られたのかは記されていない。 正史 魏書 巻14 §78 · 80正史 魏書 巻27 §33
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。
能力値
演義に登場しない人物のため、正史(陳寿『三国志』本文)の点数のみです。
- 統率33
- 武力33
- 知力42
- 政治35
- 魅力50
- 徳12
- 処世35
- 文芸40
- 弁舌42
- 用人33
項目別の根拠
正直接の記録なし — 官職の記録なし魏書 巻27 §33
正直接の記録なし — 官職の記録なし魏書 巻27 §33
正直接の記録なし — 黄初の初めに斬られた人物として推定魏書 巻27 §33
正直接の記録なし — 官職の記録なし魏書 巻27 §33
正当世を惑わし若者を駆り立て、染まった者が多かった魏書 巻27 §33
正よこしまで邪悪、悪心を抱いたとされ、黄初の初めに斬られた魏書 巻27 §33魏書 巻14 §78
正直接の記録なし — 斬首により身を滅ぼしたことから推定魏書 巻14 §78
正直接の記録なし — 黄初の初めに斬られた人物として推定魏書 巻27 §33
正直接の記録なし — 黄初の初めに斬られた人物として推定魏書 巻27 §33
正直接の記録なし魏書 巻27 §33
正史 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。