曹棘
人物紹介
曹棘は魏の武皇帝曹操の子で、母は劉姫である。早世し、太和5年(231)に追封されて諡を贈られたが、後継ぎはなかった。伝の標題は広宗殤公子である。 正史 魏書 巻20 §2 · 64–65
正史の魏書巻20武文世王公伝に短い伝があるのみで、陳寿の本文は彼の字と年齢、没年を記していない。陳寿は巻末の評で、魏の王公たちは封国の名があるだけで社稷の実はなく、禁令と監視で隔てられて獄に囚われたのと変わらなかったと述べた。演義には登場しない。 正史 魏書 巻20 §64–65 · 93
正史の記録
武皇帝曹操には25人の息子がおり、劉姫は広宗殤公子曹棘を生んだ。 正史 魏書 巻20 §2
曹棘は早世した。太和5年(231)に追封されて諡を贈られ、後継ぎはなかった。彼の伝はこれだけで、字と年齢、没年と死因は記されていない。同じ巻では、臨邑殤公子曹上、剛殤公子曹勤、谷城殤公子曹乗、霊殤公子曹京の伝も同様に、早世して太和5年に追封され諡を贈られ、後継ぎがなかったとだけ記す。 正史 魏書 巻20 §65 · 47 · 54 · 56 · 61
陳寿は巻20末尾の評で、魏の王公たちは国土の名があるだけで社稷の実はなく、禁令と監視で隔てられて獄に囚われたのと変わらず、爵位と称号が定まらず大小の封国が年ごとに変わったと述べた。そして骨肉の恩が損なわれ、「常棣」の義が廃れたのであり、制度の弊害がここまで至ったのかと嘆いた。 正史 魏書 巻20 §93
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。
能力値
演義に登場しない人物のため、正史(陳寿『三国志』本文)の点数のみです。
- 統率31
- 武力31
- 知力38
- 政治35
- 魅力38
- 徳42
- 処世38
- 文芸38
- 弁舌35
- 用人35
項目別の根拠
正直接の記録なし — 早世した王族であることから推定魏書 巻20 §65
正直接の記録なし — 早世した王族であることから推定魏書 巻20 §65
正直接の記録なし — 早世した王族であることから推定魏書 巻20 §65
正直接の記録なし — 早世した王族であることから推定魏書 巻20 §65
正直接の記録なし — 早世した王族であることから推定魏書 巻20 §65
正直接の記録なし — 早世した王族であることから推定魏書 巻20 §65
正直接の記録なし — 早世した王族であることから推定魏書 巻20 §65
正直接の記録なし — 早世した王族であることから推定魏書 巻20 §65
正直接の記録なし — 早世した王族であることから推定魏書 巻20 §65
正直接の記録なし — 早世した王族であることから推定魏書 巻20 §65
正史 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。
所属の変遷
- 魏 · 正史 · 正史 巻20 「廣宗殤公子棘,早薨。太和五年追封諡」