曹上
人物紹介
曹上は魏の武皇帝曹操の子で、母は孫姫である。早世し、太和5年(231)に追封されて諡を贈られたが、跡継ぎはいなかった。伝の題は臨邑殤公子である。 正史 魏書 巻20 §2 · 46–47
正史の魏書巻20武文世王公伝に短い伝があるだけで、陳寿の本文は彼の字や年齢、没年を記していない。陳寿は巻末の評で、魏の王公たちは封国の名があるだけで社稷の実はなく、禁令と監視で隔てられて獄に囚われたのと変わらなかったと述べた。演義には登場しない。 正史 魏書 巻20 §46–47 · 93
正史の記録
武皇帝曹操には息子が二十五人いたが、孫姫は臨邑殤公子曹上と楚王曹彪、剛殤公子曹勤を産んだ。 正史 魏書 巻20 §2
曹上は早世した。太和5年(231)に追封されて諡を贈られ、跡継ぎはいなかった。彼の伝はこれだけで、字や年齢、没年とその理由は記されていない。同じ母から生まれた剛殤公子曹勤の伝も、同じく早世して太和5年に追封されて諡を贈られ、跡継ぎはいなかったとだけ記す。 正史 魏書 巻20 §47 · 54
陳寿は巻20末の評で、魏の王公たちは封国と封土の名があるだけで社稷の実はなく、禁令と監視で隔てられて獄に囚われたのと変わらず、爵位と称号が定まらず大小の封国が年ごとに変わったと述べた。そして骨肉の恩が損なわれ、「常棣」の義が廃れたのであり、制度の弊害がここまで至ったのかと嘆いた。 正史 魏書 巻20 §93
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。
能力値
演義に登場しない人物のため、正史(陳寿『三国志』本文)の点数のみです。
- 統率31
- 武力31
- 知力35
- 政治33
- 魅力35
- 徳40
- 処世35
- 文芸35
- 弁舌33
- 用人33
項目別の根拠
正直接の記録なし — 早世して太和5年に追封された王子として推定魏書 巻20 §47
正直接の記録なし — 早世して太和5年に追封された王子として推定魏書 巻20 §47
正直接の記録なし — 早世して太和5年に追封された王子として推定魏書 巻20 §47
正直接の記録なし — 早世して太和5年に追封された王子として推定魏書 巻20 §47
正直接の記録なし — 早世して太和5年に追封された王子として推定魏書 巻20 §47
正直接の記録なし — 早世して太和5年に追封された王子として推定魏書 巻20 §47
正直接の記録なし — 早世して太和5年に追封された王子として推定魏書 巻20 §47
正直接の記録なし — 早世して太和5年に追封された王子として推定魏書 巻20 §47
正直接の記録なし — 早世して太和5年に追封された王子として推定魏書 巻20 §47
正直接の記録なし — 早世して太和5年に追封された王子として推定魏書 巻20 §47
正史 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。
所属の変遷
- 魏 · 正史 · 正史 巻20 「臨邑殤公子上,早薨。太和五年,追封諡」