曹乗 曹乘
人物紹介
曹乗は魏の武皇帝曹操の子で、母は李姫である。李姫は谷城殤公子曹乗、郿戴公子曹整、霊殤公子曹京を生んだ。 正史 魏書 巻20 §2
曹乗は早世した。太和5年(231)に追封されて諡を賜ったが、後継ぎはなかった。陳寿の本文は彼の字と年齢、死んだ年を記していない。 正史 魏書 巻20 §56
正史の魏書巻20武文世王公伝に短い伝がある。陳寿は巻末の評で、魏の王公たちは封国の名があるだけで社稷の実はなく、禁令と監視で隔てられて獄に囚われたのと変わらなかったと述べた。演義には登場しない。 正史 魏書 巻20 §55–56 · 93
正史の記録
武皇帝曹操には25人の息子がおり、李姫は谷城殤公子曹乗、郿戴公子曹整、霊殤公子曹京を生んだ。 正史 魏書 巻20 §2
谷城殤公子曹乗は早世した。太和5年(231)に追封して諡を賜った。後継ぎはなかった。陳寿の本文で曹乗が登場するのはこの短い伝と巻頭の息子の一覧だけであり、彼の字と年齢、死んだ年、生前の爵位は記されていない。 正史 魏書 巻20 §2 · 55–56
武文世王公伝は、武皇帝のほかの息子のうち、臨邑殤公子曹上、剛殤公子曹勤、霊殤公子曹京、広宗殤公子曹棘も曹乗と同じく早世し、太和5年に追封されて諡を受け、後継ぎがなかったと記す。同じ母から生まれた郿戴公子曹整は従叔父である郎中曹紹の後継ぎとなり、建安22年(217)に郿侯に封じられ、23年(218)に子のないまま死去した。 正史 魏書 巻20 §47 · 54 · 58 · 61 · 65
陳寿は巻20末尾の評で、魏の王公たちは国土の名があるだけで社稷の実はなく、禁令と監視で隔てられて獄に囚われたのと変わらず、爵位と称号が定まらず大小の封国が年ごとに変わったと述べた。そして骨肉の恩が損なわれ、「常棣」の義が廃れたのであり、制度の弊害がここまで至ったのかと嘆いた。 正史 魏書 巻20 §93
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。
能力値
演義に登場しない人物のため、正史(陳寿『三国志』本文)の点数のみです。
- 統率31
- 武力31
- 知力33
- 政治31
- 魅力33
- 徳35
- 処世31
- 文芸31
- 弁舌31
- 用人31
項目別の根拠
正直接の記録なし — 早世したため事績なし魏書 巻20 §56
正直接の記録なし — 早世したため事績なし魏書 巻20 §56
正直接の記録なし — 早世したため事績なし魏書 巻20 §56
正直接の記録なし — 早世したため事績なし魏書 巻20 §56
正直接の記録なし — 早世したため事績なし魏書 巻20 §56
正直接の記録なし — 早世したため事績なし魏書 巻20 §56
正直接の記録なし — 早世したため事績なし魏書 巻20 §56
正直接の記録なし — 早世したため事績なし魏書 巻20 §56
正直接の記録なし — 早世したため事績なし魏書 巻20 §56
正直接の記録なし — 早世したため事績なし魏書 巻20 §56
正史 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。
所属の変遷
- 魏 · 正史 · 正史 巻20 「城殤公子乘,早薨。太和五年追封諡」