演義の場面
関雲長放水淹七軍 關雲長放水淹七軍
事件紹介
「関雲長放水淹七軍」は、演義第74回の回目「龐令明抬櫬決死戦、関雲長放水淹七軍」の後半の場面である。于禁が七軍を罾口川の狭い谷に置いたのを見た関羽は、秋の長雨の間に水口を塞いでおいてから切り開いて七軍を水没させ、于禁の降伏を受け、最後まで屈しなかった龐徳を斬ったのち、水に浸かった樊城を攻める。この場面は樊城の戦いの一くだりである。 演義 第74回 §25–27 · 29–30 · 36–38
陳寿の本文は、建安24年(219)秋、大長雨で漢水があふれて于禁らの七軍が水没し、関羽が大船で攻めると于禁は降伏し、龐徳は屈せずに死んだと記す。魏書巻17の于禁伝と巻18の龐徳伝、蜀書巻6の関羽伝にこの事が見える。 正史 魏書 巻17 §38正史 魏書 巻18 §72–74正史 蜀書 巻6 §10
演義の描写
演義第74回で、関羽は高い丘に登って、于禁の七軍が樊城の北10里の罾口川に駐屯しているのを見て、魚が網の口に入ったのだから于禁は捕らえられるだろうと言う。8月に秋雨が続くと、関羽は船と筏を用意させ、各所の水口を塞がせる。魏軍の督将成何が陣営の場所が低くて危ないと申し上げるが、于禁は叱りつけて退け、龐徳は翌日自ら兵を移そうとする。 演義 第74回 §25–28
その夜、風雨の中で大水が四方から押し寄せて七軍は押し流され、夜が明けると関羽が大船に乗って来て、小山に登った于禁の降伏を受ける。堤の上の龐徳は降伏を勧める董衡・董超を斬って昼まで戦い、小舟を奪って樊城へ向かおうとするが、周倉が筏で舟をひっくり返し、水に飛び込んで彼を生け捕りにする。 演義 第74回 §29–34
于禁はひれ伏して命乞いをし、荊州の獄に入れられる。龐徳は立ったまま跪かず、兄と旧主が蜀にいるのになぜ降伏しないのかと問う関羽を、むしろ刀の下で死ぬと罵って首を斬られ、関羽は彼を憐れんで葬ってやる。 演義 第74回 §36–38
水に浸かった樊城で、曹仁は船で逃げようとするが、山の水は10日もたたずに引くであろうし、城を捨てれば黄河以南を失うという満寵の諫言を聞き入れ、白馬に乗って城壁に上り、死守を誓う。関羽は兵の半分を郟下へ送り、自ら樊城を攻めるが、北門の下で曹仁が射させた弩の矢を右腕に受けて落馬する。 演義 第74回 §38–43
演義と異なる点
水の原因:演義第74回で、関羽は各所の水口を塞いでおいてから水を切って七軍を水没させる。正史の于禁伝は、秋の大長雨で漢水があふれ、平地の水が数丈に達したとし、関羽伝も大長雨で漢水があふれたとだけ記す。 演義 第74回 §26–27正史 魏書 巻17 §38正史 蜀書 巻6 §10
龐徳を捕らえた者:演義第74回では、周倉が筏で舟をひっくり返し、水に飛び込んで龐徳を生け捕りにする。正史の龐徳伝は、水勢が激しく舟が覆ると、龐徳がひとり舟にしがみついて水中にいたところを関羽に捕らえられたと記す。 演義 第74回 §33–34正史 魏書 巻18 §73
樊城を守る誓い:演義第74回では、満寵の諫言を聞いた曹仁が白馬に乗って城壁に上り、諸将と誓う。正史の満寵伝では、満寵が白馬を水に沈めて兵士たちと誓った。 演義 第74回 §39–40正史 魏書 巻26 §7–8
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