董超

正史演義 Dong Chao동초

プロフィール
職業正武将 · 部曲将 演武将所属
登場正演収録
出生正? 推定出身地
死去正219年 推定死去地
死因正処刑 演処刑 推定
実在実在言及正1回

人物紹介

董超は部曲将で、建安24年(219)、樊で関羽と戦っていた龐徳とともに堤の上にいたが、龐徳に斬られた。正史には独立した伝がなく、陳寿の本文では魏書巻18二李臧文呂許典二龐閻伝の龐徳の記録に一度登場する。陳寿の本文は彼の字と出身を記さない。 正史 魏書 巻17 §38正史 魏書 巻18 §72

長雨で漢水が溢れると、龐徳は諸将とともに堤の上に水を避け、関羽は船に乗って来て、大船で四方から堤の上に向けて矢を射かけた。このとき将軍董衡と部曲将董超らが降伏しようとしたため、龐徳は彼らをすべて捕らえて斬った。 正史 魏書 巻18 §72

陳寿は巻18の評で、龐徳が命を捧げて敵を叱咤したと述べただけで、董超は取り上げなかった。演義には第74回の1回にのみ登場し、回目に名が入った回はない。于禁が率いる七軍の将校として董衡とともに初めて名が出て、堤の上で龐徳に降伏しようと言ったため、董衡とともに龐徳に斬られる。 正史 魏書 巻18 §92演義 第74回 §2 · 31

正史の記録

建安24年(219)、太祖(曹操)は曹仁に樊で関羽を討たせ、于禁を派遣して曹仁を助けさせた。秋に大長雨が降って漢水が溢れ、平地でも水が数丈に達し、于禁らの七軍はすべて水没した。 正史 魏書 巻17 §38

曹仁は龐徳を樊城の北10里に駐屯させたが、長雨が十数日続いて漢水がにわかに溢れ、樊城の下の平地は水深が五、六丈にもなった。龐徳は諸将とともに水を避けて堤の上に登り、関羽は船に乗って攻め寄せ、大船で四方から堤の上に向けて矢を射かけた。龐徳は鎧を着て弓を執って射たが、矢は一本も外れなかった。 正史 魏書 巻18 §72

このとき将軍董衡と部曲将董超らが降伏しようとしたため、龐徳は彼らをすべて捕らえて斬った。龐徳は夜明けから日が正午を過ぎるまで力戦したが、矢が尽きて短い武器で白兵戦となり、水が次第に増すと官吏も兵士もみな降伏した。龐徳はついに関羽に捕らえられ、彼を罵って殺された。 正史 魏書 巻18 §72–74

陳寿の本文で董超が登場するのはこの一節だけである。陳寿は巻18の評で、龐徳は命を捧げて敵を叱咤し、周苛の節義があると述べ、董超は取り上げなかった。 正史 魏書 巻18 §72 · 92

演義の描写

演義第74回で、曹操は于禁を征南将軍に、龐徳を征西都先鋒に任じ、七軍を大いに起こして樊城へ向かわせる。七軍はみな北方の強壮な兵士たちで、兵を率いる将校は董衡と董超の二人である。その日、二人はそれぞれの頭目を率いて于禁に参上する。 演義 第74回 §1–2

この席で董衡は、龐徳はもともと馬超配下の副将でやむを得ず魏に降った者であり、旧主馬超は蜀で五虎上将の地位にあり、実兄の龐柔も西川で官に就いているから、彼を先鋒とするのは油を注いで火を消そうとするようなものだと言う。于禁がその夜曹操に申し上げると、曹操は龐徳に先鋒の印を返上させ、龐徳は冠を脱いで頭を地に打ちつけ、顔中を血に染めて二心はないと申し述べる。 演義 第74回 §2–5

関羽があらかじめせき止めておいた水口を切る計略を立てていたところ、大雨がやまない夜に四方から大水が押し寄せ、七軍は乱れて散り散りになる。于禁が降伏したのち関羽が龐徳を捕らえに来ると、龐徳は董衡・董超の二人と成何、歩兵5百人とともに、みな鎧もつけずに堤の上に立って迎え撃つ。関羽は船で四方を囲み、兵士たちに一斉に矢を射させて魏兵の大半を射殺する。 演義 第74回 §27 · 29–30

形勢がすでに危ういのを見た董衡と董超は、兵の大半が死傷し四方に道もないので、降伏するにしくはないと龐徳に言う。龐徳は、魏王の厚恩を受けた身がどうして人に節を屈しようかと大いに怒り、自ら董衡と董超を前で斬り、再び降伏を口にする者はこの二人と同じ目に遭うと声を張り上げる。これにより兵士たちはみな力を尽くして敵を防ぐ。 演義 第74回 §31

演義と異なる点

初登場:演義第74回で董超は出陣に先立ち、董衡とともに七軍を率いる将校として初めて登場し、于禁に参上する。正史で董超は、樊城北の堤の上で降伏しようとして斬られた一節にのみ登場する。 演義 第74回 §2正史 魏書 巻18 §72

地位:演義は董衡と董超をともに七軍を率いる将校としてまとめる。正史は董衡を将軍、董超を部曲将と記す。 演義 第74回 §2正史 魏書 巻18 §72

龐徳を疑った言葉:演義第74回では、董衡が董超とともに于禁のもとを訪れ、龐徳の旧主馬超と実兄龐柔を挙げて先鋒を替えるよう言う。正史では、樊城の下の諸将が龐徳の兄が漢中にいるとしてかなり彼を疑ったと記すだけで、その一節に董衡・董超の名はない。 演義 第74回 §2正史 魏書 巻18 §71

降伏しようとして斬られた経緯:演義第74回では、董衡と董超が龐徳に降伏しようと言い、龐徳が自ら二人を前で斬って見せしめとする。正史では、将軍董衡と部曲将董超らが降伏しようとしたため龐徳が彼らをすべて捕らえて斬ったと記すだけで、二人が龐徳に言った言葉や、龐徳が自ら斬ったという記述はない。 演義 第74回 §31正史 魏書 巻18 §72

3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。

能力値

正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。

統率武力知力政治魅力徳処世文芸弁舌用人
正史(実線) 対 演義(点線)
  • 統率4045+5
  • 武力4240−2
  • 知力3542+7
  • 政治3131±0
  • 魅力3333±0
  • 徳3232±0
  • 処世3535±0
  • 文芸3131±0
  • 弁舌3336+3
  • 用人3133+2
正史・演義の点数と差(演義 − 正史・左 = 演義が下げた・右 = 演義が上げた)

演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上

10点以上の差がある項目はありません — 演義も正史とほぼ同じように描いています。

近い項目 10件 — 根拠を見る
  • 統率正40推定演45推定 +5

    正直接の記録なし — 部曲将の地位から推定魏書 巻18 §72

    演直接の記録なし — 七軍を率いた将校として推定第74回 §2

  • 武力正42推定演40推定 −2

    正直接の記録なし — 部曲将の地位から推定魏書 巻18 §72

    演直接の記録なし — 七軍の将校として推定第74回 §2

  • 知力正35推定演42 +7

    正直接の記録なし — 部曲将の地位から推定魏書 巻18 §72

    演董衡が龐徳を先鋒とする危険を于禁に申し述べたとき、ともに参上していた第74回 §2

  • 政治正31推定演31推定 ±0

    正直接の記録なし — 部曲将の地位から推定魏書 巻18 §72

    演直接の記録なし — 七軍の将校として推定第74回 §2

  • 魅力正33推定演33推定 ±0

    正直接の記録なし — 部曲将の地位から推定魏書 巻18 §72

    演直接の記録なし — 七軍の将校として推定第74回 §2

  • 徳正32演32 ±0

    正関羽の攻撃に董衡とともに降伏しようとして龐徳に斬られた魏書 巻18 §72

    演包囲されると龐徳に降伏を勧めて斬られた第74回 §31

  • 処世正35演35 ±0

    正包囲された堤の上で降伏を図ったが斬られた魏書 巻18 §72

    演形勢が危うくなると降伏を主張した第74回 §31

  • 文芸・学術正31推定演31推定 ±0

    正直接の記録なし — 部曲将の地位から推定魏書 巻18 §72

    演直接の記録なし — 七軍の将校として推定第74回 §2

  • 弁舌・外交正33推定演36推定 +3

    正直接の記録なし — 部曲将の地位から推定魏書 巻18 §72

    演直接の記録なし — 七軍の将校として推定第74回 §2

  • 識人・用人正31推定演33推定 +2

    正直接の記録なし — 部曲将の地位から推定魏書 巻18 §72

    演直接の記録なし — 七軍の将校として推定第74回 §2

正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)

3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。

演義の登場回(1回)

登場登場なし 登場回の一覧 →

関連事件(1)

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