楽就 樂就

正史演義 Yue Jiu악취乐就

プロフィール
職業正演武将所属
登場正演収録
出生正? 推定出身地
死去正197年 推定死去地演寿春県
死因正戦死 演処刑 推定
実在実在言及正1回

人物紹介

楽就は袁術の将である。正史には独立した伝がなく、陳寿の本文では魏書巻1武帝紀に一度名が見える。建安2年(197)秋9月、袁術が陳に侵攻すると曹操は東へ征討に向かい、袁術は曹操が自ら来ると聞いて軍を捨てて逃げ、将の橋蕤・李豊・梁綱・楽就を残した。曹操は到着すると橋蕤らを撃ち破り、皆斬った。陳寿の本文は彼の字と出身を記していない。 正史 魏書 巻1 §43–44

演義では全120回のうち第17回の1回にのみ登場し、名が回目に入った回はない。皇帝を称した袁術が七つの道に分かれて徐州を攻める際、李豊・梁剛とともに催進使となる。曹操が南征してくると、李豊・梁剛・陳紀とともに寿春を守るが、城が破られて捕らえられ、曹操の命で市で斬られる。 演義 第17回 §4 · 25 · 30

正史の記録

建安2年(197)、袁術は淮南で帝を称しようとして人を遣わして呂布に知らせたが、呂布はその使者を捕らえ、書簡を朝廷に差し出した。袁術は怒って呂布を攻めたが、かえって呂布に撃ち破られた。 正史 魏書 巻1 §43–44

秋9月、袁術が陳に侵攻すると、曹操は東へ征討に向かった。袁術は曹操が自ら来ると聞いて軍を捨てて逃げ、その将の橋蕤・李豊・梁綱・楽就を残した。曹操は到着すると橋蕤らを撃ち破って皆斬り、袁術は逃げて淮水を渡った。曹操は許に帰還した。 正史 魏書 巻1 §44

陳寿の本文で楽就の名が見えるのはこの一か所だけで、その字・出身・職位は記されていない。同じ戦いについて、魏書巻17張楽于張徐伝は、楽進が曹操に従って苦県で橋蕤を攻めて真っ先に城に登り、于禁が曹操に従って苦県で橋蕤を包囲して橋蕤ら四将を斬ったと記すが、どちらも楽就の名は挙げていない。 正史 魏書 巻1 §44正史 魏書 巻17 §20 · 28

演義の描写

演義第17回で、袁術は淮南で土地が広く兵糧が多いうえ、孫策が質として預けた玉璽まであるので、仲氏と年号を立てて皇帝を称する。呂布が韓胤を許都へ護送して曹操が斬ったという知らせに大いに怒った袁術は、張勲を大将軍として20万余の大軍を七つの道に分けて徐州を攻めさせ、自らは兵3万を率い、李豊・梁剛・楽就を催進使として七つの道の軍を後ろから支えさせる。 演義 第17回 §1 · 3–4

その夜、韓暹と楊奉があちこちに火を放って呂布の兵を陣営に迎え入れると、張勲は敗れて逃げ、紀霊も大敗して逃げる。陣頭に現れた袁術は呂布に追われ、関羽に行く手を阻まれて散々に討たれたのち、敗残兵を収めて淮南へ逃げる。この戦いで演義は楽就の名をとくに挙げていない。 演義 第17回 §13–15

曹操は袁術が兵糧に窮して陳留を略奪していると聞いて、馬歩軍17万で南征してくる。袁術の先鋒橋蕤は夏侯惇の槍に突かれて死ぬ。孫策・呂布・劉備と曹操が四方から攻め寄せるという知らせに、袁術は楊大将の言に従い、李豊・楽就・梁剛・陳紀の四人に兵10万を分けて寿春を固く守らせ、残りの将兵と倉庫の金玉・宝物を収めて淮水を渡る。曹操は兵を急がせて速戦しようとするが、李豊らは門を閉ざして出てこない。 演義 第17回 §20 · 24–26

ひと月余り対峙するうちに曹操の兵糧がほとんど尽きると、曹操は倉官の王垕を斬って兵士たちの恨みを鎮め、三日のうちに力を合わせて城を破れなければ皆斬ると命じる。曹操が自ら城下で土を受け取って堀を埋めると、大小の将兵は皆前へ進み、城の上では防ぎきれない。曹操の兵が先を争って城に登り、関門を斬り破り錠を壊してなだれ込むと、李豊・陳紀・楽就・梁剛は皆捕らえられ、曹操は彼らを皆市で斬らせる。 演義 第17回 §26 · 28–30

演義と異なる点

徐州攻撃:演義第17回では、楽就は袁術が七つの道に分かれて徐州を攻める際に李豊・梁剛とともに催進使となる。正史の魏書巻7呂布張邈臧洪伝は、袁術が韓暹・楊奉らと手を結び、大将張勲を送って呂布を攻めたが張勲が大敗したと記し、武帝紀も袁術が呂布を攻めて撃ち破られたと記すだけで、どちらにも楽就は登場しない。 演義 第17回 §4正史 魏書 巻7 §24正史 魏書 巻1 §44

残された経緯:演義第17回では、袁術はまず先鋒の橋蕤を失ったのち、楊大将の言に従って楽就ら四人に兵10万を分けて寿春を守らせ、淮水を渡る。正史の武帝紀では、袁術は曹操が自ら来ると聞いて軍を捨てて逃げ、橋蕤・李豊・梁綱・楽就をともに残した。 演義 第17回 §24–25正史 魏書 巻1 §44

ともに残った将:演義で寿春を守った四人は李豊・楽就・梁剛・陳紀で、橋蕤はそれ以前に夏侯惇と戦って死ぬ。正史の武帝紀で袁術が残した将は橋蕤・李豊・梁綱・楽就で、陳紀はこの名簿にない。 演義 第17回 §24–25正史 魏書 巻1 §44

死:演義第17回では、楽就はひと月余り門を閉ざして寿春を守るが、城が破られると捕らえられて市で斬られる。正史の武帝紀は曹操が到着して橋蕤らを撃ち破り皆斬ったと記すだけで、楽就が城を守ったことや捕らえられたこと、斬られた場所は明らかにしていない。 演義 第17回 §26 · 30正史 魏書 巻1 §44

3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。

能力値

正史(陳寿『三国志』本文)の点数が基準です。演義が同じ人物をどう描き直したかを項目ごとに比べ、二つの原典の根拠で違いを説明します。

統率武力知力政治魅力徳処世文芸弁舌用人
正史(実線) 対 演義(点線)
  • 統率3838±0
  • 武力4242±0
  • 知力3636±0
  • 政治3535±0
  • 魅力3838±0
  • 徳4548+3
  • 処世3838±0
  • 文芸3232±0
  • 弁舌3333±0
  • 用人3333±0
正史・演義の点数と差(演義 − 正史・左 = 演義が下げた・右 = 演義が上げた)

演義が作った能力値 — 正史と異なる点 差が10点以上

10点以上の差がある項目はありません — 演義も正史とほぼ同じように描いています。

近い項目 10件 — 根拠を見る
  • 統率正38演38 ±0

    正袁術が残した将で、曹操に撃ち破られて斬られた魏書 巻1 §44

    演寿春の守備を分担したが、城が落ちて捕らえられた第17回 §25第17回 §30

  • 武力正42推定演42推定 ±0

    正直接の記録なし — 袁術の将としての役割から推定魏書 巻1 §44

    演直接の記録なし — 袁術の催進使という役割から推定第17回 §4

  • 知力正36推定演36推定 ±0

    正直接の記録なし — 袁術の将としての役割から推定魏書 巻1 §44

    演直接の記録なし — 袁術の催進使という役割から推定第17回 §4

  • 政治正35推定演35推定 ±0

    正直接の記録なし — 袁術の将としての役割から推定魏書 巻1 §44

    演直接の記録なし — 袁術の催進使という役割から推定第17回 §4

  • 魅力正38推定演38推定 ±0

    正直接の記録なし — 袁術の将としての役割から推定魏書 巻1 §44

    演直接の記録なし — 袁術の催進使という役割から推定第17回 §4

  • 徳正45推定演48 +3

    正直接の記録なし — 袁術の将としての役割から推定魏書 巻1 §44

    演袁術が去った後も寿春を守り、捕らえられて斬られた第17回 §25第17回 §30

  • 処世正38推定演38推定 ±0

    正直接の記録なし — 袁術の将としての役割から推定魏書 巻1 §44

    演直接の記録なし — 袁術の催進使という役割から推定第17回 §4

  • 文芸・学術正32推定演32推定 ±0

    正直接の記録なし — 袁術の将としての役割から推定魏書 巻1 §44

    演直接の記録なし — 袁術の催進使という役割から推定第17回 §4

  • 弁舌・外交正33推定演33推定 ±0

    正直接の記録なし — 袁術の将としての役割から推定魏書 巻1 §44

    演直接の記録なし — 袁術の催進使という役割から推定第17回 §4

  • 識人・用人正33推定演33推定 ±0

    正直接の記録なし — 袁術の将としての役割から推定魏書 巻1 §44

    演直接の記録なし — 袁術の催進使という役割から推定第17回 §4

正史 演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)

3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。

演義の登場回(1回)

登場登場なし 登場回の一覧 →

関連事件(1)

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