張茂

正史演義 字 彥林 Zhang MaoYanlin장무언림张茂

プロフィール
職業正演文官 · 太子舎人所属
登場正演収録
出生演? 推定出身地沛国
死去演235年 推定死去地
死因演処刑 推定
実在実在言及正3回

人物紹介

張茂は演義第105回に現れる魏の太子舎人である。演義は、青龍3年(235)、魏主曹叡が宮殿造営を大々的に行い、司徒董尋が諫めて官を奪われ庶人とされたのち、彼もまた上表して切に諫め、曹叡の命で斬られた人物として描く。演義は彼の字を彦材と記す。 演義 第105回 §35 · 37 · 39

演義全120回のうち第105回の1回だけに登場し、回目に名が入った回はない。陳寿の本文には登場せず、裴松之の注にのみ記録がある。陳寿の本文の明帝紀は、このころ洛陽宮を大いに修築して昭陽殿と太極殿を建て、総章観を築いたため民が農時を失い、直臣の楊阜・高堂隆らがそれぞれ何度も切に諫めたが、皇帝は聞き入れることはできなくとも常に寛大に受け入れたと記す。 演義 第105回 §39正史 魏書 巻3 §43

演義の描写

演義第105回は、蜀漢の建興13年、すなわち魏主曹叡の青龍3年(235)に三国がいずれも兵を起こさなかったと述べたのち、曹叡が許昌で土木工事を大いに起こして宮殿を建て、洛陽に朝陽殿・太極殿を建てて総章観を築いたと記す。崇華殿・青霄閣・鳳凰楼・九龍池も建て、博士馬鈞に工事を監督させ、職人3万余人と人夫30余万人を選んで昼夜を分かたず造らせたので、民の怨みの声が絶えなかった。 演義 第105回 §35–36

曹叡が芳林園でも工事を起こし、公卿にその中で土を運び木を植えさせると、司徒董尋が上表して切に諫める。臣下に木を背負わせ土を担がせるのは国の光を損なって無益なものを尊ぶことであり、この言葉を口にすれば必ず死ぬと分かっているという上表であった。曹叡は怒ったが、董尋は平素から忠義があったとして、まず官を奪って庶人とし、ふたたび妄言する者があれば必ず斬ると言う。 演義 第105回 §37–39

そのとき太子舎人の張茂がおり、字を彦材といった。張茂もまた上表して切に諫めると、曹叡は彼を斬らせる。演義は張茂の上表に何が書かれていたかを載せない。曹叡はその日のうちに馬鈞を召し、神仙と往来して長生不老の方法を求めたいと言い、馬鈞の言葉に従って長安の柏梁台の銅人と承露盤を取り壊して運んで来させる。 演義 第105回 §39–42

3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。

能力値

陳寿『三国志』本文に記録がないため、演義の点数のみです。

統率武力知力政治魅力徳処世文芸弁舌用人
演義
  • 統率31
  • 武力31
  • 知力40
  • 政治38
  • 魅力38
  • 徳65
  • 処世30
  • 文芸42
  • 弁舌45
  • 用人33
各項目100点

項目別の根拠

  • 統率演31推定

    演直接の記録なし — 太子舎人の官職から推定第105回 §39

  • 武力演31推定

    演直接の記録なし — 太子舎人の官職から推定第105回 §39

  • 知力演40推定

    演直接の記録なし — 太子舎人の官職から推定第105回 §39

  • 政治演38推定

    演直接の記録なし — 太子舎人の官職から推定第105回 §39

  • 魅力演38推定

    演直接の記録なし — 太子舎人の官職から推定第105回 §39

  • 徳演65

    演董尋が罷免された直後にも上表して諫め、死んだ第105回 §39

  • 処世演30

    演諫言者が罰せられた直後に再び諫めて斬られた第105回 §39

  • 文芸・学術演42推定

    演直接の記録なし — 太子舎人の官職から推定第105回 §39

  • 弁舌・外交演45

    演上表して曹叡の土木工事を切に諫めた第105回 §39

  • 識人・用人演33推定

    演直接の記録なし — 太子舎人の官職から推定第105回 §39

演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)

3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。

演義の登場回(1回)

登場登場なし 登場回の一覧 →

関連事件(1)

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