荀霬
人物紹介
荀霬は荀彧の孫で荀惲の子であり、魏で官は中領軍に至った。正史には独立した伝がなく、魏書巻10の荀彧荀攸賈詡伝の荀彧のくだりの末尾に、父の荀惲に続いて短い記録が載っている。父の荀惲は文帝(曹丕)に憎まれて早世したが、荀甝と荀霬は文帝の外甥であったので、なお寵遇を受けた。 正史 魏書 巻10 §45 · 48–49
彼の妻は司馬景王(司馬師)と司馬文王(司馬昭)の妹であったので、二王はともに彼と親しくした。死後に貞侯と諡されて驃騎将軍を追贈され、咸熙年間に五等の爵位を新たに設けた際、彼が前朝で顕著な勲功を立てたとして、子の荀愷が南頓子に改封された。陳寿の本文は彼の字と生没年、勲功の内容を記さず、巻10の評にも彼は登場しない。演義には登場しない。 正史 魏書 巻10 §49 · 90–91
正史の記録
荀彧の伝によれば、太祖は娘を荀彧の長男荀惲に嫁がせ、彼女はのちに安陽公主と呼ばれた。荀彧の死後、子の荀惲が侯爵を継ぎ、官は虎賁中郎将に至った。 正史 魏書 巻10 §40 · 45
はじめ文帝(曹丕)と平原侯曹植がともに後継者として取り沙汰された時、文帝は礼を曲げて荀彧に仕えた。しかし荀彧が死ぬと、荀惲は曹植と親しくし、夏侯尚とは仲が悪かったので、文帝は荀惲を深く憎んだ。荀惲は早世したが、その子の荀甝と荀霬は文帝の外甥であったので、なお寵遇を受けた。荀惲の弟荀俁は御史中丞、荀俁の弟荀詵は大将軍従事中郎で、ともに名を知られたが早世し、荀詵の弟荀顗は咸熙年間に司空となった。 正史 魏書 巻10 §45
荀惲の跡は子の荀甝が継ぎ、荀甝は散騎常侍となって広陽郷侯に爵位が進み、30歳で世を去った。 正史 魏書 巻10 §47
荀霬は官が中領軍に至った。世を去ると貞侯と諡されて驃騎将軍を追贈され、子の荀愷が跡を継いだ。荀霬の妻は司馬景王と司馬文王の妹であったので、二王はともに彼と親しくした。咸熙年間に五等の爵位を新たに設けた際、荀霬が前朝で顕著な勲功を立てたので、荀愷を南頓子に改封した。 正史 魏書 巻10 §49
陳寿の本文で荀霬が登場するのは、荀惲のくだりの一句とその後のこの記録だけで、彼の字と生没年、中領軍となった時期と勲功の内容は記されていない。巻10の評は荀彧・荀攸・賈詡を論じるだけで、荀霬には触れない。 正史 魏書 巻10 §45 · 49 · 90–91
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。
能力値
演義に登場しない人物のため、正史(陳寿『三国志』本文)の点数のみです。
- 統率48
- 武力33
- 知力45
- 政治48
- 魅力45
- 徳45
- 処世52
- 文芸40
- 弁舌38
- 用人38
項目別の根拠
正直接の記録なし — 中領軍という官職から推定魏書 巻10 §49
正直接の記録なし — 事績から推定魏書 巻10 §49
正直接の記録なし — 事績から推定魏書 巻10 §49
正直接の記録なし — 前朝で勲功を立てた記録から推定魏書 巻10 §49
正直接の記録なし — 外甥として文帝の寵遇を受け、司馬氏の二王と親しかったことから推定魏書 巻10 §45魏書 巻10 §49
正直接の記録なし — 事績から推定魏書 巻10 §49
正外甥として文帝の寵遇を受け、姻戚として司馬氏と親しかった魏書 巻10 §45魏書 巻10 §49
正直接の記録なし — 名門の子孫であることから推定魏書 巻10 §49
正直接の記録なし — 事績から推定魏書 巻10 §49
正直接の記録なし — 事績から推定魏書 巻10 §49
正史 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。