句扶

正史 蜀 Gou Fu구부

プロフィール
職業正武将 · 左将軍所属蜀
登場正収録蜀書
出生出身地巴郡 漢昌県
実在実在言及正2回

人物紹介

句扶は蜀の将で、王平と同じ郡である巴西郡の漢昌県の人である。正史には独立した伝がなく、蜀書巻13黄李呂馬王張伝の王平の記述の末尾に短く出てくる。 正史 蜀書 巻13 §35 · 42–43

陳寿は、彼が忠勇で寛厚であり、たびたび戦功があって功名と爵位は王平に次ぎ、官は左将軍に至り、宕渠侯に封じられたと記した。巻末の評は彼を取り上げず、陳寿の本文は彼の字や事績、死を記していない。演義には登場しない。 正史 蜀書 巻13 §43 · 65

正史の記録

王平は、その伝によれば巴西郡宕渠県の人である。建興12年(234)、諸葛亮が死んで軍が撤退する際に魏延が乱を起こしたが、一戦で敗れたのは王平の功であった。延熙7年(244)、魏の大将軍曹爽が歩騎十数万を率いて漢川へ向かうと、王平はまず護軍と参軍を派遣して興勢に拠らせ、自らは後方で防ぐことを提案した。護軍劉敏だけが同意してただちに実行され、涪県の軍が相次いで到着すると、魏軍は王平がもともと立てた策のとおりに撤退した。王平は延熙11年(248)に死んだ。 正史 蜀書 巻13 §35 · 38–41

続いて陳寿は、はじめ王平と同郡の漢昌県の人である句扶が忠勇で寛厚であり、たびたび戦功があって功名と爵位は王平に次いだと記した。句扶の官は左将軍に至り、宕渠侯に封じられた。 正史 蜀書 巻13 §43

陳寿の本文で句扶が出てくるのはこの一行だけである。彼の字、戦功の内容、官職の経歴、死は記されていない。巻末の評で陳寿は王平を忠勇にして厳整であったと述べたが、句扶は取り上げなかった。 正史 蜀書 巻13 §42–43 · 65

3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。

能力値

演義に登場しない人物のため、正史(陳寿『三国志』本文)の点数のみです。

統率武力知力政治魅力徳処世文芸弁舌用人
正史
  • 統率62
  • 武力58
  • 知力45
  • 政治40
  • 魅力45
  • 徳70
  • 処世48
  • 文芸33
  • 弁舌35
  • 用人38
各項目100点

項目別の根拠

  • 統率正62

    正たびたびの戦功で功名・爵位は王平に次ぎ、左将軍に至った蜀書 巻13 §43

  • 武力正58

    正忠勇であったと記録される蜀書 巻13 §43

  • 知力正45推定

    正直接の記録なし — 蜀の左将軍の官職から推定蜀書 巻13 §43

  • 政治正40推定

    正直接の記録なし — 蜀の左将軍の官職から推定蜀書 巻13 §43

  • 魅力正45推定

    正直接の記録なし — 蜀の左将軍の官職から推定蜀書 巻13 §43

  • 徳正70

    正忠実で寛厚であったと記録される蜀書 巻13 §43

  • 処世正48推定

    正直接の記録なし — 蜀の左将軍の官職から推定蜀書 巻13 §43

  • 文芸・学術正33推定

    正直接の記録なし — 蜀の左将軍の官職から推定蜀書 巻13 §43

  • 弁舌・外交正35推定

    正直接の記録なし — 蜀の左将軍の官職から推定蜀書 巻13 §43

  • 識人・用人正38推定

    正直接の記録なし — 蜀の左将軍の官職から推定蜀書 巻13 §43

正史 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)

3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。

所属の変遷

  1. 蜀 · 正史 · 正史 巻43 「官至左將軍,封宕渠侯」