翟元
人物紹介
翟元は演義第73回に登場する曹仁の副将である。雲長が自ら兵を率いて襄陽に来るとの知らせに曹仁が堅く守って出まいとすると、魏王は将軍に東呉と約して荊州を取れと命じられたが、いま向こうから自らやって来たのは死にに来たようなものだとして、避ける理由はないと言う。 演義 第73回 §40
戦場では偽って敗走する廖化を追い、翌日にも夏侯存とともに荊州の兵を追うが、背後から関平と廖化が攻めかかって曹操の軍は大いに乱れる。夏侯存が雲長に斬られたのち逃げるが、追ってきた関平に追いつかれて一刀のもとに斬られる。 演義 第73回 §42–44
演義全120回のうち第73回の1回にのみ登場し、回目に名が見える回はない。陳寿の本文と裴松之の注には翟元は見えない。陳寿の本文は関羽の伝で、建安24年(219)、先主が漢中王となった年に関羽が軍勢を率いて樊で曹仁を攻めたと記す。 演義 第73回 §40正史 蜀書 巻6 §10
演義の描写
演義第73回で、建安24年(219)秋7月に玄徳が沔陽で漢中王に即位すると、曹操は満寵を呉に送って共に荊州を攻めようと約する。孫権は歩騭の言に従い、曹仁に陸路から先に兵を起こして荊州を取らせるよう求める書を曹操に送り、曹操は満寵を樊城に送って曹仁を助ける参謀官とする。これを知った漢中王は孔明の言に従って費詩を荊州に送り、費詩は王の旨を伝えて雲長に兵を率いて樊城を取れと命じる。 演義 第73回 §8 · 19 · 23–24 · 26 · 33
雲長は廖化を先鋒、関平を副将とし、自ら中軍を率いて進む。漢中王の使者が来て彼を前将軍とし、節鉞を仮して荊襄九郡の事を都督させると、雲長はついに兵を起こして襄陽への大道を進む。 演義 第73回 §36 · 38–39
雲長が自ら来るとの知らせに曹仁は大いに驚き、堅く守って出まいとする。副将の翟元は、魏王は将軍に東呉と約して荊州を取れと命じられたが、いま向こうから自らやって来たのは死にに来たようなものだとして、なぜ避けるのかと言う。参謀の満寵は、雲長は勇があり謀もあるから堅く守るのが上策だと諫めるが、驍将の夏侯存が書生の言葉だとして、逸をもって労を待てば勝てると言うと、曹仁はその言に従い、満寵に樊城を守らせて自ら兵を率いて出る。 演義 第73回 §40–41
雲長は関平と廖化に計を授けて送り出す。両陣が相対すると廖化が戦いを挑み、翟元が出て迎え撃つが、いくらも戦わないうちに廖化が偽って敗走し、翟元が追撃して荊州の兵は20里退く。翌日にも夏侯存と翟元がそろって出て迎え撃ち、荊州の兵をまた20里余り追う。そのとき背後で喊声が大いに起こり、関平と廖化が攻めかかって曹操の軍は大いに乱れ、曹仁は計にはまったと知って襄陽へ急ぐが、道をふさぐ雲長を見て戦う勇気もなく脇道へ逃げる。 演義 第73回 §42–43
続いて到着した夏侯存は雲長と打ち合ってわずか一合で斬り殺され、翟元は逃げるが、追ってきた関平に追いつかれて一刀のもとに斬られる。勢いに乗って追撃すると曹操の軍は大半が襄江で死に、曹仁は退いて樊城を守る。雲長は襄陽を得、樊城の曹仁は満寵に、公の言を聞かなかったために兵は敗れ将は死に、襄陽まで失ったと嘆く。 演義 第73回 §44–45 · 48
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。
能力値
陳寿『三国志』本文に記録がないため、演義の点数のみです。
- 統率38
- 武力42
- 知力28
- 政治31
- 魅力33
- 徳42
- 処世35
- 文芸31
- 弁舌38
- 用人31
項目別の根拠
演直接の記録なし — 曹仁配下の副将という役割から推定第73回 §40
演直接の記録なし — 曹仁配下の副将という役割から推定第73回 §40
演直接の記録なし — 曹仁配下の副将という役割から推定第73回 §40
演直接の記録なし — 曹仁配下の副将という役割から推定第73回 §40
演直接の記録なし — 曹仁配下の副将という役割から推定第73回 §40
演曹仁に出撃を主張した第73回 §40
演直接の記録なし — 曹仁配下の副将という役割から推定第73回 §40
演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。