俄何焼戈 俄何燒戈
| 職業 | 演武将 | 所属 | |
|---|---|---|---|
| 登場 | 演 | 収録 | |
| 出生 | 演? 推定 | 出身地 | |
| 死去 | 演253年 推定 | 死去地 | |
| 死因 | 演自害 推定 | ||
| 実在 | 架空 | 言及 |
人物紹介
俄何焼戈は演義第109回に登場する羌王迷当の将である。蜀漢の延熙16年(253)秋、再び魏を討ちに出た姜維が郤正を遣わして羌王と好みを結ぶと、迷当は兵5万を起こし、俄何焼戈を大先鋒として南安へ向かわせた。偽って降伏してきた魏の陳泰とともに郭淮の陣営を襲いに行ったが、人馬もろとも落とし穴に落ち、羌兵が大いに崩れると自ら首をはねて死んだ。 演義 第109回 §1–2 · 16–18
演義全120回のうち第109回の1回にのみ登場し、回目に名が見える回はない。陳寿の本文の郭淮伝は、正始8年(247)に隴西・南安・金城・西平の諸羌の餓何・焼戈・伐同・蛾遮塞らが結託して反乱を起こし、南に蜀軍を招き入れ、郭淮が姜維を退けたのち、進んで背いた羌を討って餓何と焼戈を斬ったと記す。陳寿の本文では餓何と焼戈は二人であり、俄何焼戈という一人の人物は陳寿の本文にも裴松之の注にも見えない。 演義 第109回 §2正史 魏書 巻26 §72–73
演義の描写
演義第109回で、蜀漢の延熙16年(253)秋、姜維は兵20万を起こして陽平関を出て魏を討った。前回勝てずに帰ったのは羌兵が来なかったからだという夏侯覇の言葉に従い、姜維は郤正を使者として金や珠、蜀の錦を持たせて羌の地に入らせ、羌王と好みを結ばせた。礼物を受けた羌王迷当はただちに兵5万を起こし、羌の将俄何焼戈を大先鋒として兵を率いて南安へ来させた。 演義 第109回 §1–2
魏では司馬昭が大都督、徐質が先鋒となって董亭で姜維と対峙した。徐質は鉄籠山の背後の糧道を断ちに行って姜維の計にかかって死に、司馬昭は鉄籠山の上に閉じ込められた。郭淮が救いに行こうとすると、陳泰は、羌兵はすでに到着しているので、兵を引けば羌兵が隙に乗じて背後を突くだろうと言い、まず羌人に偽って降伏し、その中で事を図ろうと言った。陳泰は兵5千を率いて羌王の陣営に入り、鎧を脱いで泣いて拝し、郭淮が常に自分を殺そうという心を抱いているので降伏しに来たと言い、今夜魏の陣営を襲えば内応する者がいるだろうと言った。 演義 第109回 §3 · 7–11 · 16–17
大いに喜んだ迷当は、俄何焼戈に陳泰とともに魏の陣営を襲わせた。俄何焼戈は陳泰の降兵を後ろに置き、陳泰に羌兵を率いて先頭に立たせた。その夜の二更に魏の陣営に至ると陣門が大きく開いており、陳泰が馬に乗ったまま一人で先に入った。俄何焼戈が馬を駆り槍をしごいて陣営に入った瞬間、ひと声叫んだだけで人馬もろとも落とし穴に落ちた。陳泰の兵が後ろから、郭淮が左から攻め込むと、羌兵は大いに乱れて互いに踏みつけ合い、死者は数え切れず、生き残った者はみな降伏し、俄何焼戈は自ら首をはねて死んだ。 演義 第109回 §17–18
郭淮と陳泰はまっすぐ羌人の陣営まで攻め込み、迷当を生け捕りにした。郭淮は自ら縄を解いてやり、鉄籠山の包囲を解いて蜀軍を退ければ天子に奏上して手厚い褒美を賜らせようとなだめ、迷当は羌兵を前に立て魏兵を後ろに従えて姜維の陣営へ向かった。迷当が口を開く前に魏の将が背後から刀を振るって斬り込み、蜀軍はちりぢりになってそれぞれ生き延びようと逃げた。 演義 第109回 §18–21
3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。
能力値
陳寿『三国志』本文に記録がないため、演義の点数のみです。
- 統率45
- 武力48
- 知力30
- 政治31
- 魅力38
- 徳52
- 処世25
- 文芸31
- 弁舌31
- 用人31
項目別の根拠
演直接の記録なし — 羌兵の大先鋒という役割から推定第109回 §2
演直接の記録なし — 羌兵の大先鋒という役割から推定第109回 §2
演直接の記録なし — 羌兵の大先鋒という役割から推定第109回 §2
演生け捕りにされず、自ら首をはねた第109回 §18
演落とし穴に落ち、自ら命を絶った第109回 §18
演直接の記録なし — 羌兵の大先鋒という役割から推定第109回 §2
演直接の記録なし — 羌兵の大先鋒という役割から推定第109回 §2
演直接の記録なし — 羌兵の大先鋒という役割から推定第109回 §2
演義 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)
3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。
演義の登場回(1回)
登場登場なし 登場回の一覧 →