曹茂

正史 魏 Cao Mao조무

プロフィール
職業正その他 · 楽陵王所属魏
登場正収録魏書
出生出身地沛国 譙県 推定
実在実在言及正7回

人物紹介

曹茂は武皇帝曹操の子で、母は趙姫である。建安22年(217)に万歳亭侯に封じられた後、平輿侯、乗氏公、中丘へと移封された。性格が傲慢で強情であったため、幼いころから太祖の寵愛を受けず、文帝(曹丕)の時にもひとり王になれなかった。 正史 魏書 巻20 §2 · 70

太和元年(227)に聊城公に移され、その年のうちに聊城王となり、のちに曲陽王を経て正始5年(244)に楽陵に移封された。正始3年(242)に東平霊王曹徽が死んだ時、喉が痛いと言って哭礼をしなかったため県一つ、500戸を削られたが、楽陵に移る際に返還された。食邑はのちに以前の分と合わせて5000戸となった。 正史 魏書 巻20 §70 · 72–73 · 68

正史魏書巻20武文世王公伝に伝がある。陳寿は巻末の評で、魏の王・公たちは封国と封土の名があるだけで社稷の実はなく、禁令と監視に隔てられて牢獄に閉じ込められたのと変わらなかったと述べた。演義には登場しない。 正史 魏書 巻20 §69 · 93

正史の記録

武皇帝には二十五人の子があり、趙姫が楽陵王曹茂を生んだ。 正史 魏書 巻20 §2

曹茂は建安22年(217)に万歳亭侯に封じられ、23年(218)に平輿侯に改封された。黄初3年(222)に爵位が進んで乗氏公に移封され、7年(226)に中丘に移封された。 正史 魏書 巻20 §70

曹茂は性格が傲慢で強情であったため、幼いころから太祖(曹操)の寵愛を受けず、文帝(曹丕)の時にもひとり王になれなかった。太和元年(227)に聊城公に移封され、その年のうちに王となった。 正史 魏書 巻20 §70

この時に下された詔は、昔、象はきわめて暴虐であったが舜は彼を有庳に諸侯として封じ、漢の淮南王と阜陵王は乱臣であり逆子であったが、自身の代に国を回復したり子の代に土地を与えられたりしたと述べた。続いて、聊城公曹茂は幼くして礼教に習熟せず、長じては善道に努めず、先帝は、昔の諸侯はみな賢者に命じたもので姫姓であっても必ずしも諸侯になったわけではないと考えて、曹茂だけを王としなかったのだと述べた。 正史 魏書 巻20 §70–71

詔はまた、太皇太后がたびたびこのことを口にされ、曹茂が近ごろ昔の過ちをいくらか悔い、今後は善を修めようとしていると聞くとし、君子は進もうとする者を受け入れ、過ぎたことにはこだわらないと述べた。そこで曹茂を聊城王に封じ、太皇太后が子孫を案じる心を慰めるとした。 正史 魏書 巻20 §72

太和6年(232)に曲陽王に改封された。正始3年(242)に東平霊王曹徽が死ぬと、曹茂は喉が痛いと言って哭礼をしようとせず、普段どおりに暮らし出入りした。有司が封土を除くよう上奏すると、詔によって県一つ、500戸が削られた。 正史 魏書 巻20 §73 · 68

正始5年(244)に楽陵に移封された。この時、詔を下し、曹茂の租税収入が少ないのに子が多いとして、削った戸を返し、さらに700戸を加えた。嘉平・正元・景元年間に食邑がたびたび加増され、以前の分と合わせて5000戸となった。 正史 魏書 巻20 §73

正元2年(255)には、曹茂の子の陽都郷公曹竦を相殤王曹鑠の後継ぎとした。陳寿の本文は曹茂の没年を記していない。 正史 魏書 巻20 §7 · 69–73

陳寿は巻末の評で、魏の王・公たちは封国と封土という名があるだけで社稷の実はなく、禁令と監視に隔てられて牢獄に閉じ込められたのと変わらず、爵位と称号が定まらず大小の封国が年ごとに変わったと述べた。そうして骨肉の恩情が損なわれ、「常棣」の義が廃れたとし、制度の弊害がここまで至ったと記した。 正史 魏書 巻20 §93

3KDEX執筆(検収前) — 段落末の表示は、根拠となった正史の巻・演義の回のその節へつながる。

能力値

演義に登場しない人物のため、正史(陳寿『三国志』本文)の点数のみです。

統率武力知力政治魅力徳処世文芸弁舌用人
正史
  • 統率31
  • 武力33
  • 知力35
  • 政治33
  • 魅力28
  • 徳15
  • 処世40
  • 文芸28
  • 弁舌31
  • 用人31
各項目100点

項目別の根拠

  • 統率正31推定

    正直接の記録なし — 藩王であることから推定魏書 巻20 §70

  • 武力正33推定

    正直接の記録なし — 藩王であることから推定魏書 巻20 §70

  • 知力正35推定

    正直接の記録なし — 藩王であることから推定魏書 巻20 §71

  • 政治正33推定

    正直接の記録なし — 封国を治めた記録はない魏書 巻20 §73

  • 魅力正28

    正性格が傲慢で強情で、幼いころ太祖の寵愛を受けなかった魏書 巻20 §70

  • 徳正15

    正礼教・善道に努めず、東平王の喪に哭礼をしなかった魏書 巻20 §71魏書 巻20 §73

  • 処世正40

    正過ちを悔いたとして王となったが、再び封土を削られた魏書 巻20 §72魏書 巻20 §73

  • 文芸・学術正28

    正幼くして礼教に習熟しなかったと詔が指摘魏書 巻20 §71

  • 弁舌・外交正31推定

    正直接の記録なし — 藩王であることから推定魏書 巻20 §73

  • 識人・用人正31推定

    正直接の記録なし — 藩王であることから推定魏書 巻20 §70

正史 推定 直接の記録がなく、事績から採点した値(根拠等級C)

3KDEX採点 — 正史は陳寿『三国志』本文、演義は『三国志演義』120回本文が根拠。根拠の表示を押すと原文リーディングのその節へ移動します。

所属の変遷

  1. 魏 · 正史 · 正史 巻20 「黃初三年,進爵,徙封乘氏公」